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夢人の休息 [コラム・小説・詩]

どれだけ走って来た? 答えを求めて
これから何処行く? 目的地は見えるかい
もしも新しい所に行くんだとしても
そこにもボスは居るはずさ
街角や劇場で戦いを繰り広げても
目的地は遠くなるばかり

そう 夢を追いかける君にも きっと
どこかで休息を入れないとね
目的地が遠くて疲れたんなら
少しだけ立ち止まってもいいんじゃない?


どれだけ夢を見てきた? 笑われながら
夢を見つづけるの? 自嘲しながら
生き方の辻褄合わせるために
冷たく人を突き放して
実は暖かく見守っている

だから 夢を追いかける君にも きっと
どこかで休息を入れないとね
誰かがいないと困るのなら
少しだけ振り返ってみてもいいんじゃない?


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花を集めて [コラム・小説・詩]

私があなたにしてあげられること
この川原の名も無い花をかき集めて
小さな花束を作ってあげること
宝石なんか買えないし でっかいバラの花束を
あなたに贈ることはできません
あなたは小さな花束を 受け取っていただけますか?
あなたは小さな花束を どこに飾ってくれますか?

私があなたにしてあげられること
ちっぽけな頭の引き出しから言葉をかき集め
歌を作ってあげること
まともにギターは弾けないし 気の利いたキザな台詞を
あなたに捧げることはできません
あなたはこの歌を 受け取っていただけますか?
あなたはこの歌を どこかで口ずさんでくれますか?

何もないし 何もできないし
こんなちっぽけな男のプレゼント
みせることは恥ずかしいし 歌うのはもっと恥ずかしい
だけどこんな私のプレゼント
あなたは受け取っていただけますか?
あなたは受け取っていただけますか?


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Communication Breakdown [コラム・小説・詩]

さて,なんで私は「コミュニケーションエイド」なんていう必要なんだけどあまり知られていないお仕事をしているのであろう.それを語るには中学時代にまで遡らなければならないのである.

中学3年のとき,ある美人の数学の先生がいたんだな.とっても綺麗な方で今にしてみれば「心がときめく」なんてことを感じたのはあのときがはじめてだったような気がしないでもない.ところが2学期,その先生が一身上の都合により退職することとなってしまった.先生は最後に私たちへのはなむけのことばの代りに映画を観せてくれた.その映画は先生がおそらくは大学のサークルでつくったのであろう自主制作映画だった.内容としては(大林宣彦+宮崎駿)÷3といった感じであった.良くある内容の映画ではあったのだがなぜか心に残る映画だった.そのときである.人に何かを伝えたい,そう思ったのは.

ただなんとなく過ごした高校時代.暗い奴で目立たずひたすら自己嫌悪に陥っていた真っ只中だった高校時代,いい思い出といえばちょっとだけ目立って,いつもよりほんのちょっとだけ明るくなることのできた2年のときの学園祭での「フィーリングカップル」の司会と修学旅行でのイベントの司会くらいかな.このときに人に何かを伝える喜びを知った.ただそのとき以外は只ひたすら悶々と,伝えることの出来ない不思議な気持ちが心の中に渦を巻いていた.

だから大学に入ったときはそれまで子ども会活動なんてものもやってたこともあり子どもに何かを伝えることのできるサークルに入って「人形劇」をやった.1年目は「影絵劇」をやったのだが,ひたすらプロデュースと光源管理,背景製作という裏方に徹した.2年目はサークルの方向性と自分の考え方の違いにイライラする中で自分で脚本を書いて「人形劇」をやった.そのときは劇につけるためにいろいろな音楽を聴いて感性をどんどん高めていけた時期だったし,自分の伝えたいことが伝わったらいいなぁという気持ちで脚本を書いていた.ある意味一番表向きにはクリエイティブな時期だったと思う.ここだけの話であるが,私は「影絵劇」「人形劇」をやっている間,一度も演出という肩書きを持ったことは無かったのであるが,音楽の選曲を自分が行なうということを悪用して「演出」の意図を思いのままのところに持っていくという悪質極まりないことをやった.良くないことだとは思ったが楽しかったのは事実であるから仕様が無い.こんな悪質なことがまかりとおってしまうような人形劇団にいても仕方ないし,サークルの方向性と自分の考え方の違いが極限まで高まってしまったので2年の途中でサークルは辞めた.

そこから1年間はまた自己嫌悪の時期である.悶々と日々を送り,だらしなく髪と髭を伸ばし,ひたすら苦しい日々を送った.今だからはっきり言おう.去年めでたく「うつ病」の診断が下ったのだが,はっきりいうとあの暗黒時代は間違いなく「うつ病」だったと思う.実際,回りの連中は何時自殺するかとハラハラしていたらしい.

こんなに悶々としていても仕方が無い,何かしようと思ったのが3年の冬,ちょうどサークル時代の後輩からバンドをやろうと誘われて,なぜだかドラムをやることになったときである.なんでやったこともないのにドラムやねん,と思いながら下宿で曲を聴きひたすらスティックの素振りを続けていたのであった.おかげさまでそれなりにドラムは叩けるようになった.このときはあまり人に何かを伝えるというのではなくて,ひたすら「楽しけりゃいいやん」という感じであった.いつか自分の曲を作ってメッセージを伝えたいなぁ,と思いもしたのだが,結局そこまでは出来なかった.

それと平行してやったのが4年の秋から入った劇団「徳島」での活動.最初は音響担当で入ったのだが….4年生だったので就職活動をしなければいけなかったハズなのだが,就職するのも嫌だなぁと思って半分ヤケで入ったのが正直なところである.話が前後するが結局そのあと2年間で3つの劇に参加し,1つのミュージカルのお手伝いをし,1つの映画のバイトをした.また,それとは待ったく別になぜかラジオに出演したりもした.楽しい2年半を過ごさせて頂いた.結局のところ居心地が良かったのでもう少し徳島でいようと思ったからそうしたのである.ちょうど大学に新しい専攻ができるというので受けたのが大学院だったのである.

一応情報工学科は卒業したが特にやるべきこともはっきりしていなかったし,趣味以外のことでやりたいことも見当たらなかった.なのに受けた大学院.その中にあった福祉工学の専攻を選んだところからが今の自分の仕事に直結している.試験のときに面接で「何をやりたいか?」と聞かれたので「障害を持った方が何かを『伝えること』のお手伝いが出来るような研究をしたい」と漠然と答えた,もちろん「コミュニケーションエイド」なんてことばがあるなんてことは知らすに,である.ただ高校時代ホーキング博士の本を読んだことがあったので,博士の使っている「ことばを伝える機械」や,日立のCMで流れていた「伝の心」のことは知っていたので,そんなことを意識して答えたのではあるが.

演劇や音楽なんかをやっていたから「伝えること」に対する興味は人一倍持っていた.今にして思えば不謹慎なことなのかもしれないのだが,耳が聞こえないことや目が見えないこと,言葉がしゃべれないこと,そのために「伝えること」ができなかったり「伝わらなかったり」することがあるんだろうなぁと思い,これは面白そうだということで興味半分で研究を始めたのである.「アルジャーノンの花束を」の映画が好きだったから知的障害にも興味があった.小学校のころヘレン・ケラーの自伝は読んだし,演劇をやり始める前から「奇跡の人」の脚本くらいは読んだことあったので三重苦というニュアンスは意味も無く好きだった.精神的苦痛により三重苦になった少年がピンボールを通じてカリスマになって堕落しその中から「何か」をつかむThe Whoのロックオペラ「Tommy」は今でも大好きだ.

だから「伝えること」「伝わらないこと」,そのことは今でも自分の中での大きなテーマになっているのである.自分の文章も「伝えたいこと」があるから書いてるのだけれど「伝わらない」ことが多い.でも,文章が書けなくても「音楽」や「絵」「ダンス」…いろんな方法を使ってメッセージを「伝えること」はできる.

結局のところ私にとって「コミュニケーションエイド」とは「演劇」や「音楽」「小説」「絵」「ダンス」そんな人に何かを「伝えること」と同じ意味を持っているのである.今回のタイトルは例によってLed Zeppelinの曲から拝借した.決して「伝えたくても伝わらない」愛を書いたへヴィーロックの佳曲である.「伝えること」ができるのに「伝わらない」不思議さもあれば,障害などで何も無ければ「伝えることの出来ない」人でも「コミュニケーションエイド」を使って「伝えること」ができて人に感動を与えることも出来る.そんな不思議な魅力に取りつかれてしまっているのである.だからこの仕事をやっているんだなぁ,最近そう思う.


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「アーチスト」と「エンターテイナー」 [コラム・小説・詩]

久々に「アート」「エンターテイメント」関連のネタで文章を書く気になりました.実は私の先輩が会社を辞めて,ちょっと遠いところに行かれるらしいからなんですな.この先輩にはホントお世話になりました.会社では恥ずかしくていえないけれど,あえてこのような形でお礼を言わせて頂きます.ありがとうございました.私のやりたかったことを仕事にしていた人だったし,一緒にセッションをしてドラムを叩かせていただいたり,楽しい2年間でした.

さて,この先輩と同行で営業をやっていたときに交わした会話,それが今回のコラムで書こうと思っていることです.それは「アーチスト」と「エンターテイナー」の違いについてということなんです.先輩は自分で曲を書くし,ギターもはっきり言ってめちゃ巧い.自分はあくまで「アーチスト」だと言う,そんな方です.ホントはプロの道も目指したらしいことをそっと告白してくれたのですが,あくまで「社会人」として自分を見つめて音楽活動を続けようと思ったそうです(この人,実は映画も詳しくて自主制作映画を作ったかなりのツワモノであります).

そのとき私が言ったのは「私はできるなら『アーチスト』より『エンターテイナー』になりたいです」ということでした.芝居は下手,ドラム叩くとドカドカうるさいだけ,小説や詩を書いてもまるで散文のこの私がこのようなことをのたまってしまったわけです.はっきり言うと笑うしかない状況ではありますが,この気持ちは今でも持っていますよ,私は.

私が思うに「アーチスト」と「エンターテイナー」の違いはベクトル向きの違いだと思うのですね.基本的に「アーチスト」は自分を表現するってことであって,あくまでその方向は自分自身の内側に向いています.もちろん,その方向は人によって様々ですので,たまたま時流と表現したいことがぴったりはまってしまったとき,それが「アーチスト」であり「エンターテイナー」であると言える状況かもしれない.もしかしたらそんな瞬間がありきたりな言葉でいうと「カリスマ」が誕生するときなのかな,そんな気がします.

一方,「エンターテイナー」の向かう方向はあくまで外向きでなくてはならない.人を楽しませることが出来なきゃいかんのです.某演歌歌手の「お客様は神様です」という台詞,これが「エンターテイナー」のあるべき姿だと思うのです.で,私が笑っちゃうことにこれになりたいと思ってるわけ,無いものねだりかな:),まさしく.でも,人形劇やってたころから自分の目指してきたことは,あくまで「エンターテイナー」でありたいってことだけは確かなんですよ.人形劇の脚本書いたときだって自分のメッセージをなんとか織り込みながら,あくまで観に来た子どもたちに楽しんでもらうか,そればかりを考えて書いたことを思い出します.

で,この考え方から行くとやっぱり先輩は「アーチスト」だったのかな,と思うわけです.実際に先輩の曲とか演奏とか聴いてるとそんな気がします.自分を見つめるってのは楽に見えて結構苦しいもんです.それを突き詰めて鬱になったこの私が言うのだから間違いは無いです:).そこでたまったパワーを曲にしてたんだなぁ,と今更ながら感じております.

ここからが実は書きながら考えたことなんですが,先ほど書いた「カリスマ」の誕生する瞬間のお話.これってかなり残酷なことやなぁ,と感じました.だって,これじゃ逃げ場所というか安らぎの場所というか,そんなものが全くなくなってしまう状況じゃないですか.だからこそ「カリスマ」と呼ばれる人達は夭逝してしまう人が多いのかな,そんなことを考えたのでした.


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拳を握るな,ペンを取れ! [コラム・小説・詩]

こんな風に趣味で文章を書いてていつも思うことは,なんで私はこんなに文章力がないもんなかねぇ,ということなのである.はっきり言ってしまうと,思い立ったときにちょちょいと文章を書いて,推敲なんか全くしないで,勢いだけで書いてしまってるからなのだが.詩みたいなものや,小説の真似事をしてるときはある程度整理をつけてから文章を書いてるから,それなりに時間もかかるんだけど,こんなコラム風の書き物の場合,ジャズのアドリブみたいな感じで頭に思い浮かんだ言葉をそのままペンに,じゃないな,キーボードに叩き込んでいるのである.

誤字・脱字はふざけとるのかと言われるほど多いし,バカをそのまま露呈してしまっているときや,はたまた昨年の夏ごろはパラノイア状態で文章を書いてたもんだから,後から振り返れば,相当恥ずかしくイタいものであるが,これが生き様だ,となんとか自分に言い聞かせて日記を書いてるような気持ちで文章を書いているのである.

さて,こんな感じなので私は真面目な文章を書くのが極めて苦手なのだ.会社への報告書やら企画書やらを書くこともあるが,どうにもそういった類の文章は書きにくい.なんとか先輩方に「書き方」を教えてもらってどうにか文章にしているような具合である.大体入社2年にして始末書を3枚も書いているやんちゃぶりなもんだから,はっきり言ってしまうといらんことしいの役立たずなのだ,私は.それはともかく,あの「携帯電話紛失事件」の始末書はまさしくあの文章のダイジェストとなっており,仲の良い連中にはウケたのだが,当たり前のことながら上司には不評であった.確信犯的に狙ってやったことだったから良いんだけどね.

じゃ,なんでこんな私が文章を書いているのか.うまくは書けないけどどうにか自分を表現できるのが今のところこの方法しかないからかな.芝居やら音楽もやってきたけど,自分を表現してるって感じじゃなかったし.気が向いたときにこんな風に文章を書ければまぁいいかなぁと.私はパンクは大っ嫌いなんであるが,なんだかんだでパンクっぽい文章をかいてしまう自分自身に腹を立てながら,そんな自分を可愛がっているんだよ.単なるナルシストであり,はっきり言ってしまうとマス掻いてるだけなのだ.

私は何をやっても微妙に中途半端で,喧嘩は弱いし,パフォーマンス能力は低い,プレゼンテーションは苦手,そんなもんだから頭にくることがあっても,それを人に表現することも苦手なのだ.そんなときは引きつった笑顔を浮かべて,脳みその中が涙で満たされてるのだよ.人を殴ることは怖いし,怒られることも大嫌い.そんなときにはこんな風に文章を書いて人を笑わせたり,たまには泣かせてみたり,ときには心配させてみたり,ちょっとだけ納得させてみたり,そんな風にエモーショナル度抜群の文章を書きたいなぁ,そう思いこの文章を書いてみた.やっぱり推敲はしないよ,勢いで書いたから.

ということでまとまることなく果てしなく,タバコを吹かしながらだらだら書いた文章で失礼.そんな私がこんな文章を書く上で心がけよう思うこと,それが今回のタイトルの「拳を握るな,ペンを取れ!」な訳だ.ネタはいくつか上がってきてるから気長に見てほしい,こんな私だけど.


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私にとっての死に関する考え方について [コラム・小説・詩]

私にとって初めて死というものを受け入れなければならなかったのは突然のことだった.それは小学校の6年生のとき,忘れもしない9月25日の深夜のことである.ついさっきまで元気だった父が急性心不全で亡くなってしまったときだった.あまりにも急なことで父の死を受け入れることができず,知ったときは別に泣いたりすることも出来なかった.

病院から父が無言で帰ってきたときも,まだ体は温かく,寝ているようにしか見えなかった.祖父が気を使って「わしも父親おらんかったから…」そう言ってくれたことも冗談のようにしか聞こえなかった.夜が明けて親戚や近所の人がたくさん駆けつけてきたときでさえも,きっと父は生き返ると信じていたような気がする.そんなはずはないんだけど….

ようやく通夜になり,入棺するときに父の冷たく硬くなった体に触れて,そのときやっと父が生き返らないんだということに気が付いた.突然なにか分からないけど寂しさとか哀しさとか,父との思い出や,父に叱られたときのこと,そんなものが頭の中にいっぱいに広がって,突然涙があふれてきた.翌日,葬儀が終わり本当に父との別れが来たとき,また涙が出てきた.あんなに涙が流れ続けたことはそれ以降無いし,泣くことがあってもそのすべてがそのときのそれとは違うと思う.

このような訳で私自身死というものを考えることが人より多かった気がする.特にうつ状態で会社を休んでいるときはひたすら自分の死を身近に感じた.3日間ほど家に篭ってどうやって死のうかなんて考えたりもした.でも他にやりたいことがいっぱいあることや,たとえ一人でも私のことを必要としてくれる人がいること,そんな簡単なことに気が付いたとき,なんとか生きていく気が起きてきた.ちょっと考えると分かることのはずなのだが,状況が状況だっただけに思いとどまって本当よかったと思う.そうじゃなきゃこの文章だって書けなかった訳だから.

ところで私が社会人になってから1年半になるが,何故だか公私ともども人の死に接することが増えてきた.大好きだった村下孝蔵さんやジャンボ鶴田も死んでしまった.去年の夏は父の兄,つまりは叔父が事故で急死してしまった.先週の土曜日には私の行っている会社の社長が亡くなってしまった.

叔父が死んだときは仕事の関係で葬儀に出られず,結局そのことがあとのあとまで尾をひいて例の「うつ状態」を作ってしまった.村下さんやジャンボの死は自分がいろんな意味で影響を受けていた人だったのでショックだった.そして社長の死である.

私はなんだかんだ会社に対して言いたいことはたくさんあったが,そのことを一番聞いてくれていたのは社長だったと思う.71歳で亡くなったのだが,私のやってる仕事,コミュニケーションエイドのことに対して理解のある方だった.私が病休明けで会社に復帰したとき,体のことを気にしていただいたことが印象に残っている.今にして思えばあのとき社長の方が大変な状態だったのにである.涙は出ないけど妙な寂しさに今包まれているのだ.

来週の日曜日は社葬である.本当なら私は出たいところなのだが,基本的に在社している私がなぜかその週末に限り,2日連続で展示会の仕事が入ってしまっているのである.そんな訳で社葬には出られないんだけれど,同じ日に行われる展示会を後輩と成功させること,それが社長に喜んで頂けることだと信じている.

決して未来に安易な希望を抱くだけじゃなく,過去を振り返って逃げるのではなく,自分は生きていきたいと改めて感じているのである.


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水の都 [コラム・小説・詩]

水の都と聞いて思い出すのは「ベネチア」であることは言うまでもないことでありますが,「日本国内」で「水の都」と言えば一体どこになるんでしょうか?私はこれまで観音寺(18年間),徳島(6年間),寝屋川(1ヶ月),大東(1年3ヶ月)と住んでまいりましたが,この中で「水の都」というネーミングが似合うのはやはり徳島だと思うのです.

やはり偉大なる「四国三郎」=「吉野川」を土手の上から眺めるときに感じる圧倒感がありますし,吉野川自体,最下流の方まで綺麗であるというのが第一の理由です.あと,最近になって親水公園というかたちで,吉野川の派川である新町川や助任川で気軽に水というものを感じることが出来る,というのもありますかねぇ.特に,新町川のボードウォークなんかうまいこと作ったな,と思うと同時にそこに集う人々が「何かをやろう」と盛り上げてるのがいいなぁと感じる次第.もっとも,私が徳島にいたころラジオにでててそこから「ボードウォークでうどん屋しよう」という企画があがり,雨の中多くの方が集まったという思い出も多分に加味されてますが….

あと,川内町(吉野川の北岸)の吉野川橋(旧橋)と吉野川大橋(新橋)との中間あたりから徳島市の中心部を眺める風景が好きですね.旧橋の美しさとバックに映える眉山,もうこれは絵になります(てか四国放送のCMで使ってるんですが:)).バスに乗り吉野川大橋を渡りながら旧橋や眉山を眺めると,
 「あぁ,徳島に帰って来たんやなぁ」
となんか安心します.

それに比べてどうも大阪の川は川らしくなくって嫌いなんですよ.やっぱり寝屋川にしても汚さは相変わらずだし,三面コンクリートの「川」自体,正直あまり好きになれません.が,最近になって今住んでる寮の近くを散歩してると,「大東」も水の都だったんだなぁという事が分ってきました.

昔の運河が残ってるんですよ,この寮の近く.で,これが結構入り組んでて,運河を辿ってみると,昔はこの家から何かを運んでたんだろうなぁ,というのが判る作りになってる古い家も何軒か残ってるし,昔使ってたらしいの舟が運河に沈没(!)してたり,そういうのを見てると飽きがこないな~,と思うようになりました.

惜しいのは,その運河も水が汚いこと.大東市もがんばってアピールしてるのですが綺麗にするのはなかなか難しいでしょうね.でも,徳島の新町川だって30年くらい前の高度成長期にはすさまじく汚れていたそうです.行政と市民ががんばって今のようなキレイな新町川に生まれ変わったんだそうで.ですから,大東市に住む皆さん,みんなでがんばって川をキレイにして「水の都」と自慢できる街にしたいなぁ,そう思うのでありました.

追記

  • 出張でよく泊まることの多い岐阜の大垣市なんかも別の意味で「水の都」って感じがしてて好きですね.ちうか大垣市もそういってるし,「スイトピア」なんて建物もあるくらいでして… 一度郡上八幡の方にいってみたいなぁ,とTVで見るたび思うのでした.
  • 検索エンジンで「水の都」で検索してみてください.すんごいいろんなところが「水の都」宣言しててなかなか興味深いですよ.

あるパスティーシュ作家の作品とその演劇性に関する考察 [コラム・小説・詩]

タイトルだけは仰々しいですね.今日は私の好きな作家の清水義範さんのことをネタにします.清水さんの本を読むきっかっけは例の「木沢村行軍事件」のもやしさんの紹介からなんですね.清水さんは「パスティーシュ作家」の異名を持つとおり,様々なネタをパスティーシュするところが持ち味です.ちなみにもやしさん,私に「秘湯中の秘湯」という短編集の「ジャポン大衆シャンソン史」という小説が面白いと紹介してくれたのですが,もやしさんはこれが本当にフランス人向けの日本大衆歌謡を紹介する文章をさらに日本語に訳した文章と思っていたようで,この辺り清水さんのパスティーシュ作家としての実力が垣間見えるというところでしょうか.例えば「永遠のジャック&ベティ」という短編は中学の英語の教科書に出てきたジャックとベティが30数年ぶりに再会し,喫茶店で話をするのですが,どうしても教科書を訳したようなしゃべりしかできない,なんていうパスティーシュになっておりまして大学の研究室の連中がもろ気に入って笑い転げていたのを覚えています.

当然なんでもパスティーシュにするもんだから結構芝居にしたら面白いんちゃいます,っていう作品がかなりあるんですね.例えば「バールのようなもの」という短編集にある「役者語り」という作品なんかは,劇団「徳島」でも大女優さまが演じた「化粧」という一人芝居がベースになっていると思われるのですが,そこにシェークスピア劇を演じる役者が歌舞伎役者のように世襲制だったりしたら,なんていうかなり込み入った話になっておりまして,これってト書きさえあれば一人芝居として成立しちゃうんではないかという作品だったりします.

あと私が劇団「徳島」の自己紹介でやってみたい芝居の中に,「ひとりで宇宙に」(短編集「グローイングダウン」に収録)というSF短編も冥王星調査に行った宇宙飛行士の数奇な運命を描いた作品なんですが,これいつか一人芝居で突然披露しようかなどと企んでいる小説だったりします(テーマソングはベタにYapoosの「宇宙士官候補生」でお願いします).だってこの話,最後のオチまでの持って行き方次第ではかなり面白いとおもうよ.

そしてあと私が芝居にしたら面白そうだなぁと思う短編をいくつか挙げると,作者自身の若い頃の経験がモチーフになっている,ファッション情報会社に勤める若者と彼の下宿に来た不思議なおばあさんを描いた「また会う日まで」(短編集「グローイングダウン」に収録),これなんか二人芝居にしたら面白くなるのでは.事故で息子が入院している体育教師とその担当医を描いた「復讐病棟」(短編集「アキレスと亀」に収録)なんかはうまくまとめれば二人芝居による心理劇になるかと.劇団「徳島」的立場で書かせて頂くと,訪ねてきた客にその人の思い出にちなんだ食事を出してくれる食堂を描いた「時代食堂の特別料理」(短編集「国語入試問題必勝法」に収録)は重厚なる新劇風の舞台作りでいけば,かなりの感動を誘う作品に仕上がるのではないかなと思います.もちろん単純に面白い短編(ショートショートに近いかな)がたくさんありますので「清水義範の世界」風にスケッチ集をやってもいいと思うのですが,いかがでしょうか?

実際清水さんの小説は舞台化されてるものもあります.「バールのようなもの」は立川志の輔により落語として上演されています.また以前展示会の仕事で清水さんの地元・愛知にいったとき,来賓でいらっしゃってた方の中に役者の方がたようで,その方が「やっとかめ探偵団」(清水さんの人気シリーズと同名)という芝居を終わって急いで駆けつけました,みたいなことをおっしゃってたもんでこのようなことを考えてみました.

最後に,こうして書くと清水さんはパスティーシュだけなのかというとそれだけではありません.直木賞候補になった「虚構市立不条理中学校」なんか教育学部を出た清水さんの,現在の教育に対する回答の一つだろうと思います.あと私,大好きな長編がありまして「スシとニンジャ」という作品なのですが,だれかこれ映画化して頂けません?忍者や武士に憧れて日本にやってきた外国人と日本人のふれあいを描いた佳作なんですけどねぇ.ほかの長編ものも映画にしたらGOODかなぁと思うものも多いなぁなんて考えてみたりして.

清水さん,このページを見ることはあるんでしょうか?もし見ていただけたらメール下さいね~.


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剣山スーパー林道木沢村行軍記 [コラム・小説・詩]

1.悲劇への序章

8月9日私は6年間の学生生活を送った徳島へと旅立った.といってもここは大阪.梅田から発車する高速バスを使えば2時間半で徳島である.あっという間に見慣れた徳島駅前へと着いた.駅前は阿波踊り前ということもあり,踊りの練習の音が聞こえたり何やら華やいだ雰囲気であった.私はもやし氏(本名:YY氏,下の名前は私と同じ)との待ち合わせ場所へと歩を進めた.フィリップ・モリスの煙草を1本吸ってるうちに彼は現れた.彼の車に乗り込んだ私は何をしようかと考えた.学生時代私達二人はともに車で意味もなく通常は人の通らない国道なんかをドライブすることが多かった.その日も軽い気持ちで「どっか山にでも行きましょうか」という私の一言で,ドライブを行なうこととなった.

まずは阿波踊り用につくられた桟敷席を抜けた.
「とりあえず飯でも食いますか.」
と私は言ったのだが,もやし氏はすでに晩御飯を済ませたとのこと.仕方が無いので私は某ソンへよりやきそばとペットボトルのウーロン茶を買い,そこで軽い食事をとった.後から思うとこのときに食事をとっていたことが幸いするのであるのだが,そんなことはそのときの私に知る由も無かった.

私達は佐那河内-神山ルートへと向かった.普通なら国道439号に沿って進路を取るところであるが(これも普通では無いのだが…),その日もやし氏は妙なことを言ったのである.神山より進路を国道193号にスイッチし木沢村より剣山スーパー林道を走ろうと言ったのである.私はもちろんそれに同意したのだが今にして思えばそれが悲劇の始まりであった.

2.恐怖のオフロード

もやし氏は以前にも剣山スーパー林道を走ったらしい.そのときは今回行く林道より手前,つまり徳島寄りの方を走ったとのことである.どうやらもやし氏は今回その先を走り,完走を果たしたかったのだそうだ.

やがて国道193号の交差点が現れ私達は左折を行ない,林道のある木沢村の方向にスイッチした.このあたりは国道と言っても山間部であり,対向車が来るとすれ違うのにも困難する狭い道なのである.やがて私達は不気味なトンネルを抜け木沢村へと入っていった.そこからスーパー林道へは約1分.車は右折し剣山スーパー林道に入った.

序盤は好調であった.スーパー林道とはいえ,国道との分岐付近は舗装されている個所もあり,楽しいドライブであった.オフロードになってもまだ最初のうちは若干の振動を感じる程度であり,問題なく車を進めることが出来た.

時間は夜の11時,こんな時間にスーパー林道を走る物好きはあまりいない.昼間だったら雄大な山並みを観ることができるのであるが,夜間は対向車とすれ違うことはなく,会うのは鹿,うさぎ,狸といった動物達であった.
「次何が現れると思います?」
「鹿ちゃうん?」
「じゃ,私うさぎに賭けますわ.」
こんな馬鹿な話で盛り上がりつつドライブを続ける.ちなみにその直後現れたのはうさぎだったことを書き記しておく.

ドライブを続けていくうちにどんどん路面が粗くなっていった.落石が多く速度を上げるのは危険と感じ控えめなスピードで車を進める.あるカーブを抜けたとき私はヤバイと感じた.もやし氏もそう感じたようであった.大きな落石らしきものが道路の真中にあったのである.もやし氏はそれを木であると判断したようであった.その為そこに突っ込んでいった.

「ゴン,ガリガリガリガリ…」
そんな音がした.これはヤバイと思い,すぐさま私達は車を降り,車の状況を確認する.ボディ,タイヤ,バンパーなどに問題は無かった.なんかオイルくさいにおいがしたが,多分気のせいだと信じ,わたし達はさらにスーパー林道を進んでいくのであった.

3.S.O.S!!

車には何の問題もないようであった.別にガソリンも漏れていないようだし大丈夫だと思った.が,やがて私は車の挙動がおかしいことに気づいた.下り坂が長く続いた部分で全くエンジンブレーキが効いていないのである.
「もやしさん,今ニュートラルですか」
「いや2速に落としとるよ」
「じゃなんでエンジンブレーキが効かないんでしょう?」
「え?!」

車を谷の底に止める,いや止まってしまったというのが正しいかもしれない.
「ためしにバックに入れてみてください.」
…動かない.
「今度は4速に入れてみて…」
………やっぱり動かない….
この症状は明らかにオートマのオイルがなくなっている状況としか思えなかった.レースだと「ATF故障によりリタイア」といったところだろう.なんとか車を押し,他の車が通れるだけのスペースを作り(もっとも夜間にそんな奴はいないと思ったのだが),策を講じた.

もやしさんはJAFの会員証を見せてくれた.
「#8139(はいサンキュー)でJAF呼べるで」
でもここは「圏外」.当たり前だ,1300メートルの山の中で携帯は無力であった.なんとか500メートルほど歩いて場所を変えつつチェックをいれるのだが,やっぱり「圏外」….

「SOS信号でも発してみますか」
私は提案した.ライトをパッシングし
「ツーツーツー,トントントントントントン,ツーツーツー」
もう一度.なにも起こらない.
「今度はクラクションで!」
もやし氏が言う.
「ブーブーブー,ブブブブブブ,ブーブーブー」
文字にすると情けないが私達は必死であった.3回ほど続けた.だが何も起こらなかったのである.

夜間(もう12時)懐中電灯もなくスーパー林道を歩くのは危険,ましてやとなりの木頭村では熊なんかも生息しているのである!!
「もうここで寝ましょう.」
「そ,そやな…」
私は睡眠導入剤を飲んでいたのですぐ寝たので,それから後もやし氏のとった行動は分らない.

4.第2の悲劇

翌朝,薄暗くなってきたところで目が覚めた.もやし氏は寝れなかったそうである.オイルがもれていることを改めて確認するもやし氏.いつまでもここにいても仕方ないので山を降りることにした.

お互い何を持っているかを確認する.エネルギーになりそうなもの…,もやし氏のストロベリーガムのみ!!私は昨日買っておいたウーロン茶の空きペットボトルがあったので,谷(「にくぶち谷」というらしい)に下り水を汲んでおくことにした.そこで第2の悲劇が起こったのである!

「ちゃぽん」
うん,何か落としたぞ,うわ~あれ会社の携帯じゃー!!胸のポケットに入れとったんやったー!!…一瞬ピカッと光り,急流に流されていく携帯電話を私は呆然を眺めることしか出来ないのであった.とはいいつつ水を汲み,谷を上がりもやし氏に私は笑顔を浮かべていったのである.
「会社の携帯,落としちゃいました.」
通常,笑顔を浮かべて言う台詞ではない.頭の回路がショートして笑顔しかできなかったのである.もやし氏は気遣ってくれたがもうどうしようもない,あのP501iはもうにくぶち谷の急流の中,大自然の前に私達は無力だった….あぁ愛しのiModeP501i,今君は何をしているの,どこにいるんだい,P501i~!!

5.行軍

そこから先はひたすら歩くしかないのである.とりあえず民家のあるところまで,もしくは携帯の電波が入るまで.にくぶち谷にあった小さい看板によると国道193号まで約20キロらしい.民家まではそれ以上の距離があるに違いない.私達は午前5時,覚悟を決めて歩き始めたのである.

最初は雄大な景色を眺めながら歩くことができた.いい空気を吸ってるなぁ,何てことも考えつつ歩いたのである.
と・こ・ろ・が
ずーっと,ずーーーっと,景色が雄大なだけなのである.歩いても歩いても「あーいい景色だね~」なんて言える筈も無く,私達は無口になっていくのであった.

1時間ほど歩いた頃,昨日の悲劇の現場らしきところに辿り着いた.石は粉砕されていてATFのオイルがぶちまけられていた.よくそんな状態で5キロ近く車が走ったものである.Woo,Makes Me Wonderである.そのときに気づいていればもう少し歩く距離も少なくて済んだのに,と思ったがもう終わったことである.すぐに私達はまた歩き始めるのであった.

6時半頃,下からラジオ体操の音が聞こえてきた.実は結構目的地は近いのかなぁ.そうだったらいいなぁ.と考えたが,遥か真下から聞こえてくる,それも小さな音で.その期待はあっさり否定されたのであった.

午前7時頃,やっと下に下りていく林道の分岐についた.ここから8キロ下にやっと国道があるのである.しかも下りばかり,足に来る負荷は凄まじかった.もやし氏のガムを噛み,水を分け合い歩きつづけた.私はあのとき某ソンでやきそばを食べていて良かったと思った.はっきり言って腹は空いていなかったのである.もしかしたら虫の知らせ(意味が違うが)だったのかもしれない.そう思った.

午前9時頃,長~い下りを終えやっと県道に出た.もやし氏によるとこのあたりに四季美谷温泉があるらしい.看板には後6キロとかいてある.ようやく目的地が決まった.あと6キロでこの苦労は報われるのである.途中民家が何件かあったがもう私達は四季美谷温泉を目指していた.電話があるかとも思ったのだが,あまりカタギ(?)の方に迷惑はかけれないと思ったからである.なんとな~く平らなうねうねした道路を歩きつづけるのであった.

いつになったら着くのかなぁ.もうしんどさの限界がやっていたとき,やっとその四季美谷温泉に着いた.時計を見ると午前11時,気温も上がりよくこれで脱水症状にならなかったものだと思った.約6時間の行軍はこうして幕をおろしたのであった.

6.四季美谷温泉にて

喉も乾いていたし自販機で買ってスポーツドリンクを飲んだ.そして中に入りカレーを注文した.おばちゃんは不思議そうにこっちを見ていたので理由を説明した.多分こいつらアホや,そう思ったに違いない.でもそれは正しい.アホなことをやって起こるべくして起こった結果がこれである.カレーを注文して食う.食欲はなかったのだがこのときだけは食わずにはいられなかった.もやし氏はJAFを呼びに,私は会社に電話を入れる.もちろん怒られた.でも死にたなかったんやもん,仕方のないことである.それにもう終わったことである.

私は先にバスで帰る事にした.おばちゃんに聞くと2時にここに来ると言ってくれた.もやし氏はJAFを待っていた.
「どっちが早く来ますかねぇ.」
「バスちゃう?」
そんな話をしているうちにJAFが来た.もやし氏は今歩いて降りた道を再び車で上がって行くのだった.その5分後バスが来た.誰も乗っていない村営のバスである.クーラーの効いた車内でくつろぐ.やっとここまで来てもう一度景色を眺めてみた.今度は素直に綺麗だと思うことが出来た.

7.その後…

バスを乗り継ぐこと2回,2つ目のバス以降のことは覚えていなかったが,午後5時過ぎ私はまた徳島駅前に帰ってくることができたのである.なんか楽しいんやら,苦しいんやら… 相変わらずバカやってた学生時代からな~んも進歩してないんだなぁ,そんなことを考えつつホテルに入った.部屋に入ったとたんに眠ってしまった.

午後7時半ごろ,ようやくもやし氏から電話があった.「帰ってきました」その声にパワーは無かった.聞くに結構レッカー移動で金がかかったらしい.かわいそうだと思ったが仕方ない,これもやっぱり終わったことである.

翌朝もやし氏宅に荷物を取りに行った.お互いひどい筋肉痛だった.階段を上るのも降りるのも辛い,そんな状態だった.もうこんな行軍はやめにしようと思った.
とは思うのだが絶対またこの2人で何かやるんだろうなぁ,きっと.


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許されざるものの歌 [コラム・小説・詩]

許せない 許せない みんな許せない

休み時間に黒板を引っかく奴 牛乳飲んでるときに笑わせる奴
いじめる奴といじめられる奴 それを先生にチクる俺

そっちが招いたクセに 俺を引っかいて逃げた猫
たったそれだけのことなのに 哀しくなる俺

許せない 許せない みんな許せない

クソ熱いのに効かないクーラー 言うことを聞かないパソコン
夜中の3時にマージャンをする隣の奴 夜中の3時にギターをかき鳴らす俺

夜の10時を過ぎてるのに混んでる電車 しゃかしゃかウルサイヘッドフォン
でかい声で携帯しゃべる馬鹿女 ばあちゃん立ってるのに座ってる俺

許せない 許せない みんな許せない

社長専務部長 次長課長係長
そしてヒラの俺 指示されるがままに動く俺

上司に噛み付く奴 上司にゴマをする奴
言ってることがみんなバラバラ それでも愛想を振り撒いてる俺

許せない 許せない みんな許せない

教祖カリスマまがいもん そんなものにすがる奴
無神論者だとほざいておいて 親類の法事にはちゃんと出る俺

神様仏様教祖様 あなた達が本当にいたとして
何故世の中に不幸な人が こんなに沢山いるのですか
その人たちを救うこと それがあなた達の仕事ではないのですか
それができない神様 あなたが一番許せない

許せない 許せない みんな許せない

散々これだけ愚痴を並べておいて 歌にするだけの俺
何もやらない俺 それを聴いてる奴

許せない 許せない みんな許せない


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