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ターゲットマーク [コラム・小説・詩]

The Whoのロゴ入りのターゲットマークのTシャツを着て芸術創造館に行った

トイレに入ったとき何かデジャヴな気持ちになった

小の便器の中におんなじターゲットマークがあった

確かに「ターゲット」だけどさ…妙に切なかったorz


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電車の中のとある風景 [コラム・小説・詩]

観劇を終えて電車に乗る.時刻は22時前.少しだけ混んでいる状態.私はいつものように運転席の右側で暗闇の中を走る電車の前面展望を楽しむ.

電車がK駅に着くとターミナル駅ということもあり,どっと人が乗ってくる.電車の優先席には若いサラリーマン.立っている人が多い中いい度胸である.電車がK駅を発車すると,サラリーマンの前に多分かなり飲んだと思われるいい感じに出来上がったおじいさんが立った.

さすがにサラリーマンも気付いたようで,「どうぞ」とおじいさんに席を譲ろうとする.しかしおじいさんは完全に出来上がっているにも関わらず,
「やさしいなぁ,でもわし大丈夫やから.兄ちゃんいくつ,30歳か.若いのに偉いなぁ」

おじいさんは大丈夫であることを若者に伝えるために,おぼつかない足元であるのに踊りはじめた.

次の駅で席が空いたこともあり,おじいさんがサラリーマンの隣に座っていろいろと語り始める.サラリーマンも微妙に困った顔をしつつ,おじいさんに話を合わせる.エンジンがかかったおじいさん曰く,
「わし昭和元年生まれ」
「自衛隊に勤めとって金はいっぱいもらったし,年金もたくさんもろている」
「自衛隊で全国各地に行った.九州から北海道まで」
「三島由紀夫の割腹自殺の演説を聞いた」(!)
などなど

私はあれっと思い思わず心の中で突っ込みを入れてしまう.
(昭和元年生まれということは84歳くらいだよなぁ,いや~,ちょっと待て!もっと若く見えるぞ.昭和元年生まれならギリギリで兵役に付いとると思うんやけど….三島由紀夫の事件を生で見たのかスゲー,あの事件があったのが昭和45年….ずいぶん長く自衛隊に残ってはったんやなぁ…)

おじいさんはそこからエンジンにターボがかかり,日本の防衛や政治や年金に関する愚痴があふれ出てくるわ出てくるわ.そこで目的駅に着いたので私は電車を降りた.おじいさんとサラリーマンの目的駅はまだ先のようだ.おじいさんの話は終わらない.サラリーマンも本当に困ったなぁ,という表情で話を合わせ続けていた.

ごくごくありがちな平日の電車の中の出来事.

昭和享年

昭和享年

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: テイチク
  • 発売日: 1995/11/22
  • メディア: CD

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置き換えりゃいいってもんじゃないよ その3 [コラム・小説・詩]

いつか出るだろうなぁ,と思っていた表記「しょうがい」「しょうがいしゃ」表記,かなり使われはじめてきたようです.「障害」表記と「障がい」表記に関しては,かなり前の記事に書いたので事前に読んでおいていただけると,この記事も分かりやすくなるかと思います.

 置き換えりゃいいってもんじゃないよ

 「障がい」表記に関して,再び…(置き換えりゃいいってもんじゃないよ その2)

あくまで私個人の意見ですが,記事を書いて1年以上経過しましたが,まだ「障がい」表記に馴染んでいない感じです.もちろん公的機関で「障がい」表記が広がっているのは実感しているのですが….やっぱり日本語的に「障がい」と書くにはかなり抵抗があります.「障碍」表記にできない事情も分かるんですケドね.

なぜ「障がい」表記になったかは以前の記事に書いているのでここでは記載しませんが,「障がい」表記がある程度広がってくると,
「『障』の字『さしつかえる』『邪魔になる』というネガティブなイメージがあるので『障がい』ではなく『しょうがい』と書くべき」
という考えで「しょうがい」表記が出てくるだろうなと思っていたんですよ.で,事実出てきている訳で.あくまで参考ですが「障害者」「障害がい者」「しょうがいしゃ」のGoogleの検索結果をリンクしておきます.

 障害者

 障がい者

 しょうがいしゃ

一応誤解のないように書きますが,私は「しょうがいしゃ」という表記は違和感はあるものの必要,「障がい」という表記に関しては違和感がありあまり使いたくないという考えです.なぜ「しょうがいしゃ」表記が必要なのか?そんなに難しい理由ではありません.「障害者」「障がい者」の表記では理解できないケースがあるからです(知的に障害のある方や認知に問題のある方など).ただし「障がい者」の延長で「しょうがいしゃ」と書くのは,これまでと同じく違和感を感じあまり使いたくない,というスタンスです.

あと日本語の場合「障害」という言葉に多くの意味がありすぎるという感じはします(「中山大障害」「電波障害」など).同じ障害のいう言葉を使っていても,それが医療的な障害なのか機能的な障害なのか社会的な障害なのか,いまひとつ分かりにくいですよね.

ちょっと古い考え方になりますが,WHOが1983年に定めた障害の分類方法でICIDHがあります.例を簡単にあげてみます(プログレ系のとあるドラマーの例です).

  1. 階段から落ちて脊髄損傷になる(Impairment=機能形態障害)
  2. 脊髄損傷になり移動に車いすを用いる必要が生じる(Disability=能力障害)
  3. ドラムを演奏することができなくなりバンドを脱退する(Handicap=社会的不利)

この3つの言葉,一応日本語訳を横に書きましたが,簡単に日本語で片付けようとするとすべて「障害」という言葉に集約されてしまうんですよね.そういう意味では簡単に「障がい」と置き換えるのではなく,「障害」という言葉の定義を再度行なう必要が生じてきていると感じています.

言葉というものは時代によって変わりますが,なぜこのような言葉を用いるのか,なぜこのような言葉を用いてはいけないのか,このようなことを考えていう必要があるのではないでしょうか.それはもちろん「障害」という言葉に関わらず.

長くなりましたが,今日はこんなところで.


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そこまでする人たち [コラム・小説・詩]

しかしまぁアレですねぇ.So-netのメンテナンス後の不評もさることながら,世の中にはここまでしてナニしたいかという方もいらっしゃるようで.まぁ,とりあえず下の記事を見てみてくださいまし.

 【So-net blogリニューアル】 発生している不具合・障害について

So-netのスタッフによるメンテナンス後のブログの障害報告ですね.2月28日にアップされた記事なんですが,ほぼ2日に1度対応状況が載せられたり,新しい障害報告があったりと,ホント大変ですね~,な感じなんですが….とにかく軽く,楽にアップできる環境作ってくださいな,スタッフさん.

でですね.So-netブログには賛否両論ある「nice!」というのがあるわけですよ.簡単に書くとSo-netブログのユーザーが他のユーザーの記事を読んで,「お,これいいんじゃない」な記事にボタンをポチッとなすることで「nice!」を付けることができる訳ですね.この「nice!」の特徴としてはトラックバックと同じように自分のブログへのリンクが張られる点にあるんですな.

ここで,さっき紹介した障害報告の記事を見てみましょう.今3月9日の17時頃ですが何とこの記事に対して「nice!」が409も付いているんですよ.正直ですね,「あなたたちはそこまでしてアクセス数稼ぎたいか!」って言いたいんですよね.トラックバックも107付いてますが,こっちは障害報告に対する記事に対するリンクなんで問題ないと思うんですがねぇ….

そりゃね,ブログやWebサイト管理してるとどれだけの人が見てくれるか気になるし,そのために面白い記事やページを作成している訳ですよ.それが励みにもなるし.でもねぇ,障害報告の記事に「nice!」付けるってかなり歪んでないですかね.私の僻みなのかな.えーとあくまで客観的な視点で考えると,いくら多くの人が見るであろう障害報告のページであろうが,ほとんど皮肉の意味にしかならない「nice!」が409あっても,そこをクリックしてブログを見ようなんて人はほとんどいません!(言い切ったけど大丈夫か?)

ブログをしている人も私がはじめた頃に比べりゃ何倍かに増えているから,そりゃいろんな人がいるんだろうケド,何か違わないか,なんて思ったので書いてみた次第.と,今日はこんなところで!


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「障がい」表記に関して,再び…(置き換えりゃいいってもんじゃないよ その2) [コラム・小説・詩]

昼休み何の気無しにGoogle探検隊.以前に書いた「障がい」表記に関して簡単に調査.あの記事を書いてからたった4ヶ月なんだけど,ものすごい勢いで自治体や大手企業でこの表記が広がっていることにある種の驚きと御幣があるかも知れんけど若干の恐さのようなものを感じました.とりあえず「いつ誰がこの表記をはじめたか?」に探りを入れてみるが,情報錯綜….ただ,本当に障害のある方本人やサポーターの方が言い始めたのか,自治体が独自に始めたことなのか,確証の持てるサイトは発見できず….

自分の考えは前に書いたとおりなんですが,私自信は納得ができる意見があれば表記はどちらでもいいとは思っているのよ.言葉には自分達が思っている以上に力があって,簡単に人を傷つけることもできれば,人に希望を与えることができる.だからこそ安易に新しい言葉を作ってはいけないし,意味を取り違えるようなことをしてはいけない.この辺りは学生時代にいろいろな演劇やら音楽に触れることが多かったことから来るものなのかもしれんけど….そんな中,非常に興味あるサイトを見つけました.

 Dialog in the Dark Japan

このようなパフォーマンスがあるのは知っていたケド,詳細は先方のサイトに行ってみてくださいね.そのサイト中にまさかこんな表記があるとは…
当ホームページでは、スクリーン・リーダーでの読み上げを考慮し、視覚障害者と表記いたします。「障がい者」と表記した場合、スクリーン・リーダーでは「さわりがいしゃ」と読み上げられます
コレね.この文章見たときに「それ知らんかった!」と目からウロコが0.5枚程落ちました.「スクリーンリーダー」に関してはこちらを参照くださいな(うわ!手前味噌).確かに福祉機器の開発スピードと「障がい」表記の拡大スピードが恐ろしく違うためこのような事態が生じている訳なんですが,この例を見ると視覚に障害のある人にとっての「障がい」表記ってどうなんだろうなぁ,受け入れられているだろうかなぁ?と考えてしまった訳です.1~2年後に答えが出るでしょうが….

調べていくと「障害」を「障がい」と表記する理由に関しては分かるんだけど,その表記の変更に関しては賛否両論ですね.ただ実際に障害のある方や関わっている方の中にも「障害」表記派の方はいるようで,「障がい」表記に違和感を覚えていたり,ひらがなでバカにされているように感じたり,そもそも本人にとって社会環境に「障害」があるのだからわざわざ表記を変える理由が分からない,などなどいろいろな意見があるもよう.(ただ某ちゃんねるの発言はいただけない.見ていて気分が悪い!自分自身某ちゃんねるはよく利用する方だが,福祉に関することは,政治的なものだけでなく悪意のある差別的なバイアスがかかっていて全く参考にならん!パソコンやケータイの情報を探すには悪い意見が聞ける分それなりに役に立つんだけどなぁ…)

ちょっと考えたものでもう一度記事にしてみました.「障がい」表記を否定しませんが,納得できる理由が無いのでしてないだけです.是非ともご意見のある方にコメントをいただきたいです.結構根が深い問題だと思うので….


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せっかくなので「子ども」表記についても調べてみた [コラム・小説・詩]

おとといの記事で「障害」を「障がい」と書くことに対する私なりの意見を書いたけど,その1つ前の記事で「子供会」を「子ども会」と書いていることに関して自己矛盾があるのでは?と私自身が奇妙な感覚に陥ってしまったので,せっかくなので自己フォロー.

実はこんなコトを考えていたから.

  1. 子ども会を統括する団体が「子ども会」を正式名称として採用しているから
    中学・高校時代にやっていた活動は「ジュニアリーダー」という名称だったんもだが,子ども会やジュニアリーダーを統括していたのが「全国子ども会連合会」が正式な名称だったため.ちなみに私も高校1年のときに参加した全国大会(今はちょっと形式が変わったみたいけど参考サイト).同じ御殿場で行なったものの今は当時より随分とカリキュラムが良くなってるなぁ….いや懐かしんでいる場合ではなくて.今も正式名称は「全国子ども会連合会」だけど「全国子ども会安全会」が前面に出てるのが時代の変化と今の社会の厳しさを感じてしまいちょっとさみしい.ま,長くなりましたがこれが第一の理由.
  2. すでに「子ども」という表記が定着しているから
  3. ぶっちゃけたところ「子ども」と書こうが「子供」と書こうがどちらでも良いと思っているから
    1.の理由で私は「子ども」と書いてしまうのがクセのようになっているが,正直なところ他の人が「子供」と書いても目くじら立てて指摘するようなことはしない.それこそ「言葉狩り」だから.うじきつよしが所属していたのは「子供ばんど」だが,それを訂正するようなことはしない.だって失礼じゃん.

確かにジュニアリーダーになりたての中学生のとき「『供』という字は「お供え物」のように物に対して使用すべき文字」とか「『子ども』がすでにひとつの言葉として成立しているため「子供達」では意味が重なるので『子ども』と書くのが正しい」みたいなことを聞いたことあるなぁ.気になったのでWikipediaで調べてみた.

 子供

ふ~ん,いろいろな理由があるのね.私のこれまでやってきた活動やら今やっている仕事の関係上,多分これからも「子ども」って書いていくつもりだが,まぁいろいろ参考になったわ.Wikipediaの項目.

ま,ちょっと調べてみたのでご報告ということで.


置き換えりゃいいってもんじゃないよ [コラム・小説・詩]

高齢者向け・お子様向け携帯のことを記事にしようと各キャリアのサイトを見ていたが,機器・割引のとこら辺を見ていて,公私に渡って最近ふと気になることが頭をよぎったのでそれを記事にする.ちょいとだけ過激な言葉が出てくるかもしれないが,予めご了承いただきたい.ここで記事にすることは大昔,何度か記事にしたことの続きみたいなものだから.

最近,公の施設でも「障害者」「障害」という言葉を「障がい者」「障がい」という表記に置き換えているところが増えたなぁ,と感じている.はっきり書いておこう.私は言葉というものが常にうつろうものであり,時代によって変化を伴うものであることは重々承知している.だけど今回の「障がい」の置き換えについてはちょっとおかしくはないかいと思うのだ.

理由は大きく2つある.1つめはものすごい単純.「障害者」と「障がい者」,あくまで私見だがこうして並べてみるともの凄い違和感がない?というかセンスが無いだけではなく言葉の意味すら分からなくなってしまっているよな「障がい者」の方.「害」ということばを「がい」変えてみましたというのが臭いものにフタ的に感じられ,さらに元が「障害者」であったということがほとんどの人が分かってしまう状況だけに,逆に何かの圧力が掛かったような印象を受けてしまうのは私だけか?元々「害」という字から「人に害があるから『障害者』」ととらえてしまっているのが問題であって「体に害のある部位がある人が『障害者』」とか「生活をしていく上で何らかの障害があり,そのことで迷惑を被ってしまっている人が『障害者』」って考えると別に直す必要もないし,むしろ直すべきでは無いと思う.

第2の理由.そもそもが「障害」という言葉自体が「障碍」という言葉の置き換えではある点.「碍」という字が当用漢字でなかったことであるからこの置き換えは仕方が無いと思う.ちなみに電線に付いている絶縁体が「碍子」であることから分かるように,元々の意味は妨げるという意味であった.そこに「害」という文字を割り付けたところから話がややこしくなる.実はそんなに大きな意味の違いは無いのよ.「害」を使おうと「碍」を使おうと.ただ「害」という文字が「妨げる」という意味に加え「人に害を加える」「人に害を与える」等あまり良くない印象を持つ文字だったというのが問題だった.何十年の前のことなのでこのころのことをどうこう言っても仕方が無いのだが,この段階で「障がい者」になっていれば何も問題無かったのだ.あえて今も「障碍者」という表記をする方がいるが,これが一番筋が通っていてスマートな表記だとは個人的には思う.

でここでまた出てくる「言葉狩り」の問題.最初に書いたとおり「言葉というものが常にうつろうものであり,時代によって変化を伴うもの」という考えを持っている.今回俎上にあるのが「障害者」という言葉ではあるが,これまで言葉の言い換え,ちょっとだけ過激に書くと「言葉狩り」をして当事者にとってプラスになったことがあるのか,ということだ.これも私見なので間違っていたら訂正していただきたいが,一部を除いてほぼ無いのでは?例えば「精神分裂病」を「統合失調症」置き換えて何か変わった?むしろ逆効果になっていることはないか?第1の理由のところで書いた「障がい者」という言葉の持つ違和感から多分この置き換えで変わることはないだろうと思う.これが第2の理由.(なおその一部というのは「ハンセン病」で,これは「癩病」(らいびょう)の持つあまりにもネガティブな印象を変えるために必要だった)

商売柄「肢体不自由」「知的障害」という言葉を用いているが,元々は別の表現を使われていたことは知っている.でも例え当時の言葉を使っていようが,今の言葉を使おうが,少なくとも私がいろいろな場で発言したりこのように文章を書く上で,意味は変わりはしないのだ.むしろあまりにも言葉の言い換えが多すぎて混乱している方は,実は多いのではなかろうか.とりあえず今年度から「養護学校」が無くなっていく方向で,今後「特別支援学校」になっていくだろうし,既に校名を変更している学校もあるが,これについても「中身」が変わったことをきっちりと伝えないと,単なる言葉の言い換えだと思われてしまうのではないかな,とちょっとだけ脱線したがそんなことを感じている.

「言葉は意味を持っていて言葉には大きな力がある」これアメリカの支援機器・コミュニケーション機器の大手エーブルネット社がセミナーを行なう際,聴講している方に伝えていること.日本の言霊的な発想にも似た発想で私は非常に好きな文章だ.

何か言葉を変えるのは上っ面だけを変えても意味が無いし,むしろ逆効果のことが多い.だから私はせめてこのblogの記事を書いていく上では「障がい」という表記はしない.一番定着している「障害」という表記を使っていくつもりなので,今後もよろしく.

追記:
とは書いているものの正直に書くと,あまり好きではない表現を使っているところもあるのが実情.この記事を読んで何か意見がある人は是非ともご意見をうかがえれば,と思う.闇雲に言葉を変えて誤魔化すのではなく,きっちりとコミュニケーションをとっていきたい.その中でいい意見があれば採用するかもしれないし.堅っ苦しそうに書いたけどおっ気軽に.このあたり融通は効くタイプ…かな,ということで.


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オーバーステアな台車 [コラム・小説・詩]

大きな荷物を人力で運ぶのに便利なもの,それは台車である.日本橋でちょいと大きな買い物をするくらいならば,引っ張るタイプの「ゴロゴロ」も有効であるが,荷物が無駄に大きかったり,アホほど量があるときは台車を使うに限る.値段も手ごろだし.

ところが今日は同僚が「台車,借りていっていいっすか」ってなことになり,特に断る理由もないので「ええよ」と答えてしまったのだ.ちょっとしなびた感じの台車が残っているし,それを使えば何とかなるだろうと思ったからだ.

普段の荷物の量は大体10~15個,うまく台車上にテトリスの如く積み上げることができれば1回で持ち運べないことはない.荷物のリストを見たとき最初は「なんや17個か,まぁ何とかなるやろ」と思ったが大間違い.

送り主の横に書いてある小口数を読んでなかった.3小口,5小口,10小口(!),そんなんばっかりなのである.しかし荷物を部屋に運ばなくてはならない.恐る恐る荷物置き場に行ってみる.…唖然.なんですかこの段ボールの小山は.中でも10小口のが強烈で,重いわでかいわ箱つぶれとるわと3つ揃った状態で,テトリスすると上にも乗せれんわ下にも置けんわな感じで.

仕方がないのでいつものとは違う「しなびた台車」を使う.空の状態ですでに動かすときゅもきゅもと車輪が音を立てているのだ.重量は軽いタイプなのに前に進むのに力が必要ということは,…単純にサビとるな台車.KURE-556でも塗っときゃ良かったと思うのは,もう過去のことなのだ.

せめていつもの台車ならなぁ.重いなりにも普通に押せるしコントロールが効く.ところがこのしなびた台車.やたらコーナーでふらつくのだ.空の状態でうまくコントロールとするとジャックナイフターンも可能.できても何のメリットも無い訳だが.

荷物を積むとさらに挙動不審な感じに.まず,普通に押したら斜めに動く.そのたびに手でカウンターを当てなきゃいけない.で,コーナー.簡単に書いてしまうと「オーバーステア」.驚くほど良く曲がる,と書けば聞こえはいいが,要は車輪が不安定すぎて4WS状態になっている,そんで人間が押しているのは後ろから.ある意味FR車やミッドシップにに近い状態である.何度コーナーのイン側にある壁にぶつけそうになったことか.荷物が多いのでタダじゃすまない程度にめげるだろうに.

ということで不安定だけどよく曲がる「オーバーステアな台車」.あなたも一台如何ですか?値段は1,480円,いまならより曲がりやすくなるための石膏でできた重しをお付けいたします.…って誰も買わねーよな.


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大火と残心 [コラム・小説・詩]

2004年の8月.会社はお盆でお休み.明日から阿波踊りを前にした徳島へと車を走らせる.

2年近く会ってなかったバンド仲間Tとの再会のためである.このT,私が徳島にいた頃は芝居に興味がないからといって,私の出る芝居の音響をやっていたにも関わらずだ,私が大阪に行ったとたん某音楽劇に参加しやがったという,因縁を私が勝手につけている,言い方を変えよう,私が何かを勘違いしている,そんな友人なのである.分からなければそれでよい.単純に大学時代同じ学科にいて,名前の関係で学籍番号がたまたまとなりになり,あっという間に友人になった,それがTHUである.

大阪から徳島は遠いようで案外近い.愛車のロードスター「流星号」を使うと3時間程度で徳島市内に着いてしまう.なるべくTHUとすぐに落ち合えるように淡路島最後のパーキングエリアで電話を入れる.
「んじゃ1時間後に大学前のファミレスで」

鳴門大橋を渡り,徳島県に突入する.高速を降り11号線を南下していると行く先に黒い煙があたかも狼煙のように湧き上がっている.近づいても近づいても小さくなる気配はまるで無く,どんどん大きくなっていく.吉野川を渡る頃,ようやく気が付いた.
「うわ,あれ火事やん.大学の近くやろ,うわ…」

バイパス側が混んでいたので旧国道側から目的地のファミレスを目指す.すると…,目の前20mが大火事!ちょうどそこがファミレスの駐車場.すぐに車を止めて,人間的には非常にイヤらしいところなのだが野次馬根性丸出しで近寄ってみる.「うわ,こんなに火が出とるのにまだ消防車来とらんやん.どうなっとん」と思っているところで消防車1台登場.同時にTから電話.

「なんか徳島市内にはいってから全然車進まんのやけど,どうなっとん」
「いや,目的地のファミレスのすぐ近くで火事がおこっとるんよ.しばらく車動かんの違うかなぁ.まぁゆっくり来いだ」
会話はこんなもん.でも消防車1台ではどうしようもないような状態.ようやく2,3台応援の消防車がきてまともな消火活動開始!

ここでT登場.
「どうなん,まだ燃えよん」
やっぱり人間だわなぁ.そらみたいわなぁ.
「まだ燃えとるよ,消火活動しとるけど」
そこで5分ほど野次馬化.でも不謹慎ながらさすがに飽きてファミレスに入る.

まぁ久々に友人と会うと大体話す内容は似たようなもんであり,大して面白くも無いので割愛.そこで提案.
「折角大学の近くに来たんやから中に入ってみよ」
そんな意味があるようなないような理由で大学に入ってみる.

まず総合科学部の体育館,ここは部活の思い出のある場所だ.Tには関係ないけど所属していたサークルの部屋のあったところを覗き込む.雰囲気は変わっているけどやっぱりサークルやっとんやなぁ.自分,中途半端なところで辞めたからなぁ,とちょっと鬱が入る.

総合科学部の校舎がやたらキレイになっていることに衝撃をうけながら,学生会館へ.このあたりはあまり変わっていない.食堂もおんなじ感じだし売店も同じ.お盆前だというのにサークル活動の音が聞こえる.オーケストラの楽器の音が懐かしい.そして時期的に聞けるとは思っていなかった人形劇の練習をやっている声が.よく見ると2階の窓に向かって練習している模様.もちろん私には後輩に会う資格なんぞないわけで,また凹みながらも,まだ人形劇やってたんだといううれしさかな,そんなのも感じた.どうも文章にしにくい感情である.泣きたいけど笑いたい,当時を思い出すと悔しい,でもうれしい….

総合科学部はこのくらいにして工学部へ.Tと私の思い出が詰まったキャンパスである.新しい校舎がいっぱいできてることにもびっくりしたが,いまだに旧校舎が一部残っており,そこで研究をしている学生がいることにさらにびっくり.さらにさらにびっくりなのが「今だに」工事をしていること.大学の敷地ははっきりいうと狭いのだが,THUや私が入学した12年前から続いている工事である.このままだと最後の工事が終わったころ,最初に作った校舎が老朽化してまた工事せないかんようになるんではないか,といらん危惧を抱く.危惧とはかいてみたものの…多分そうなるだろうな.

結局大学探検はこんなもんで終わってしまった.その後,Tとはカラオケで遊んでそこで別れた.

何だか徳島に来てTと会えたのはものすごいうれしかったんだけど.あの火事を見た後,変わっていく大学,でも変わっていない大学,私の遣り残したこと,今やりたいことその全てが火事の炎で混ざりまくって昇華してしまった.過去を振り返るのも大事だけど,すこしでも前を見なきゃなぁ.

もう一度何かをはじめよう,それが何かは分からないけれど.


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拳を握るな,ペンを取れ!! [コラム・小説・詩]

書きたいことは何も無い だから殴りたくもなる
書きたいことは何も無い だから暴走したくなる

思いつくこと ただ寂しいこと
思いつくこと ただ切ないこと
思いつくこと ただ哀しいこと
思いつくこと 逝ってしまった好きだった人達

砂漠の中で何かを見つけ 金にならぬと腹を立て ずっと遠くに投げつける

少しでいい 少しでいい ほんの少しでいい
哀しくても 切なくても 寂しくても ほんの少し嬉しいときでも
ペンを手に取り何かを書き留めたらどうだい?


言いたいことは何も無い だから家の中にひきこもる
言いたいことは何も無い だから過去ばかり見てる

思いつくこと あの猫への怒り
思いつくこと あいつの才能への嫉妬
思いつくこと 夢を見失った絶望感
思いつくこと それでも自分はどうにか生きていること
 
海岸で貝殻を拾って 役に立たぬと捨てた後 見知らぬ誰かが踏み潰す

少しでいい 少しでいい ほんの少しでいい
怒りでもいい 嫉妬でもいい 絶望でもいい どうにか生きてるんだったら
拳を握ったりせずペンをとってみたらどうなんだい?


行き着く先は分からないし 誰がいるのかも分からない だけどもどうにか生きている

少しでいい 少しでいい ほんの少しでいい
哀しくても 切なくても 寂しくても ほんの少し嬉しいときでも
ペンを手に取り何かを書き留めたらどうだい?

少しでいい 少しでいい ほんの少しでいい
怒りでもいい 嫉妬でもいい 絶望でもいい どうにか生きてるんだったら
拳を握ったりせずペンをとってみたらどうなんだい?


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