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私にとっての死に関する考え方について [コラム・小説・詩]

私にとって初めて死というものを受け入れなければならなかったのは突然のことだった.それは小学校の6年生のとき,忘れもしない9月25日の深夜のことである.ついさっきまで元気だった父が急性心不全で亡くなってしまったときだった.あまりにも急なことで父の死を受け入れることができず,知ったときは別に泣いたりすることも出来なかった.

病院から父が無言で帰ってきたときも,まだ体は温かく,寝ているようにしか見えなかった.祖父が気を使って「わしも父親おらんかったから…」そう言ってくれたことも冗談のようにしか聞こえなかった.夜が明けて親戚や近所の人がたくさん駆けつけてきたときでさえも,きっと父は生き返ると信じていたような気がする.そんなはずはないんだけど….

ようやく通夜になり,入棺するときに父の冷たく硬くなった体に触れて,そのときやっと父が生き返らないんだということに気が付いた.突然なにか分からないけど寂しさとか哀しさとか,父との思い出や,父に叱られたときのこと,そんなものが頭の中にいっぱいに広がって,突然涙があふれてきた.翌日,葬儀が終わり本当に父との別れが来たとき,また涙が出てきた.あんなに涙が流れ続けたことはそれ以降無いし,泣くことがあってもそのすべてがそのときのそれとは違うと思う.

このような訳で私自身死というものを考えることが人より多かった気がする.特にうつ状態で会社を休んでいるときはひたすら自分の死を身近に感じた.3日間ほど家に篭ってどうやって死のうかなんて考えたりもした.でも他にやりたいことがいっぱいあることや,たとえ一人でも私のことを必要としてくれる人がいること,そんな簡単なことに気が付いたとき,なんとか生きていく気が起きてきた.ちょっと考えると分かることのはずなのだが,状況が状況だっただけに思いとどまって本当よかったと思う.そうじゃなきゃこの文章だって書けなかった訳だから.

ところで私が社会人になってから1年半になるが,何故だか公私ともども人の死に接することが増えてきた.大好きだった村下孝蔵さんやジャンボ鶴田も死んでしまった.去年の夏は父の兄,つまりは叔父が事故で急死してしまった.先週の土曜日には私の行っている会社の社長が亡くなってしまった.

叔父が死んだときは仕事の関係で葬儀に出られず,結局そのことがあとのあとまで尾をひいて例の「うつ状態」を作ってしまった.村下さんやジャンボの死は自分がいろんな意味で影響を受けていた人だったのでショックだった.そして社長の死である.

私はなんだかんだ会社に対して言いたいことはたくさんあったが,そのことを一番聞いてくれていたのは社長だったと思う.71歳で亡くなったのだが,私のやってる仕事,コミュニケーションエイドのことに対して理解のある方だった.私が病休明けで会社に復帰したとき,体のことを気にしていただいたことが印象に残っている.今にして思えばあのとき社長の方が大変な状態だったのにである.涙は出ないけど妙な寂しさに今包まれているのだ.

来週の日曜日は社葬である.本当なら私は出たいところなのだが,基本的に在社している私がなぜかその週末に限り,2日連続で展示会の仕事が入ってしまっているのである.そんな訳で社葬には出られないんだけれど,同じ日に行われる展示会を後輩と成功させること,それが社長に喜んで頂けることだと信じている.

決して未来に安易な希望を抱くだけじゃなく,過去を振り返って逃げるのではなく,自分は生きていきたいと改めて感じているのである.


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