SSブログ
コラム・小説・詩 ブログトップ
- | 次の10件

電車とピンクの髪の男と老婆の話 [コラム・小説・詩]

昨日は最悪だった.一日中「何で生きてるんだろう?」という思いで体中が一杯になり,涙が止まらなくなった.死にたくなった.「明日になれば何とかなるかな?」そんなあてのないことだけを頼りに,酒を飲んで無理やり床についた.

いつの間か朝になっていた.時計を見れば朝の9時だった.昨日があんなんだったし病院に行こうか,それとも映画でも観に行って気分を変えようか,このまま寝てしまおうか,いろいろ考えたがとりあえず住道駅へと向かうことにした.

見慣れた駅に着いて,改札を通りホームへ向かう.ホームで電車を待っていると会社のIさんと会う.自分の立場を考えると気まずいもんだが,Iさんとは親しいし素直に話しが出来た.ピンクに染まった髪を見て驚いていた.Iさんはこれから横浜に向かうという.なんとなく会社のことが気になりはじめ,これ以上一緒に話すのは良くないなぁと思い,また,病院に行くには普通電車を使わなくてはならなかったので,快速に乗るIさんとはホームで別れた.

ラッシュアワーを過ぎた普通電車の中は人が少なくまばらに座っていた.快速の方はいつも混んでいるので,時間に余裕のあるときは普通を使うのが好きである.流れていく景色を眺めながら2駅ほど過ぎたところで,向かいに座っていた老婆がこっちの方にやってきた.

「ここは京橋ですか?」
老婆はそう聞いてきたので「いえ,さっきのは徳庵ですからまだ先ですよ」そう答えた.不思議なもんである.なにもこんなピンクの髪の男に尋ねるもんかねぇ,困っている人を助けるのは苦にならない方なので,老婆と話を続けた.

聞けば老婆は93歳になったという.そのわりにはえらい元気な人でだ.話は向こうのペースに巻き込まれ「京橋が来たら言うてな」,そう言われてしまった.病院へ行こうという考えはそこで吹っ飛んだ.病院に行くには京橋の1つ手前の鴫野で下りなければならないからである.

折角だからこのまま北新地まで行って映画でも観よう,そう腹に据えて老婆と話を続けた.ピンクの髪のことも聞いてきた.老婆はこれが私の髪ではなく,帽子だと思ったようだ.いくら訂正しようとしても聞いてもらえず,それがなんだか滑稽で私も老婆も笑い続けた.

やがて電車は京橋に着き,老婆は降りていった.ただなんでもないそんなことで何故か涙が出てきてしまう.今がうつの状態だからかもしれないが不思議なもんだ.でもいつもとは違う.意味のあるのかないのか分からない悲しさや寂しさで涙が出てきたのではない.こんなピンクの髪の男に話に来てくれた老婆.どうしようもない奴なのに話をしてくれた,なんかそのことに感動してしまった涙,だったのかもしれない….人に涙を出していることを見せないように帽子を深くかぶり,やがて改札を出て行く老婆を眼で追っていた.なにかいつもとは違う,すがすがしい涙だった.


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

鳥葬 [コラム・小説・詩]

「オレが死んだら鳥葬にしてくれ.」
冗談交じりに奴はそう言った.大学前の喫茶店で,いつもは満員なのにその日は何故か奴と私,後友人二人の四人だけだった.その四人で人生観などを語っていたのである.

奴は宇宙工学がやりたかったらしいのだが,そんなことをやっている大学には入れないことを模擬テストの結果が教えてくれた.そしてこの片田舎の大学に落ち着いた.

よほど居心地が良かったのか,奴は六年間もこの大学にいた.背は低くガリガリで弱そうな奴だったが,常に自分の考えを押し通す,そんなタフな奴だった.

そんな奴が突然いなくなった.何の置き手紙も連絡もよこさずに.「まぁ,奴のことだから二,三日すれば帰ってくるさ.」みんなそう思っていた.

ところが三日後,奴の変死体が上がったことが新聞に載っていた.多分どこかの岬から身を投げたのだろう.何で彼が自ら死を選んだのか,私も友人達も家族さえも分らなかった.

聞くところによると奴の死体はカモメかなにかの鳥についばまれていたらしい.その事実を「鳥葬」といって良いものかどうか,それは私には分らない.海でカモメを見るたびに奴のことを思い出す.奴は今でも空を飛んでいるのだろうか.


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

純日本産少年 [コラム・小説・詩]

生まれたときから回りにはロックがあふれていた
歌ってるのは日本人だったり外人だったりした
だけどそんなことはどうでもよくてとにかくそれはロックだった

オレは日本で生まれて日本で育った
だけど演歌を聴いても楽しくないし民謡なんかよく知らない

今日もテレビでバカが言う「日本人離れしてますねぇ」
一体なにが日本人なの 離れてるってなんなの?
あんただって日本で生まれて育ったんじゃないの?

こんなことを言ってみても体が勝手にロックを欲しがってるんだ
オレって誰? オレって何?
ただただ言えることはこれだけだ
ロックだ大好きで イタズラ好きで
そんなオレは純日本産少年


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

難物小説 [コラム・小説・詩]

今うつのため心療内科に通ってるわけですが,こっぱずかしゅうて先生に言ってないことがあるんですよ.実は私,あの夢野久作の奇書「ドグラ・マグラ」を楽しく読破させて頂いておりました.まさか,この本読んだからうつになったんじゃ…ないよなぁ?多分….

実は学生時代,悪友に「ドグラ・マグラ」の映画は見せられた訳.で,原作本をちょいと読みたくなって思わず梅田のジュンク堂で買っちゃったんですよ.怖かったね.だって「これを読む者は一度は精神に異常をきたす…」なんてことが裏表紙に載ってるんだもん.まぁ,ホラー映画なんかでもこういう脅し文句がのってたりするから,あんまし気にしてはなかったんだけどね.

でも読んでみてびっくりした.映画は映画でカルトムービー的によく出来てたとは思う.今は亡き桂枝雀師匠演じる正木教授はすごくはまってたし,松田洋次も精神的なナイーブさがよく出ていた.結構な佳作じゃないかと「先に映画を観た」段階では思っていた

ところが,原作はその上のまた上を行く凄まじさだったんだなぁ,これが.映画には書かれていない部分の濃いこと濃いこと.特に終盤明かされるMとWの争いをそこから起こる大どんでん返しにはびっくりした.正直,ほんと自分というものの存在のあやうさみたいなものを感じたね.

裏表紙には「エログロナンセンスの極」みたいなことが書かれていたけど,そんなもんじゃない.自分という存在への恐怖,科学者と科学者のぶつかりあい,そしてなんといっても異様なまでの密度の濃さ.そんなものを感じました.

例によって内容には一切触れません.映画から観るもよし,本から入るもよし.自分でその恐怖感,倫理観,自分の存在の確認,そんなもののために一度読んでみて下さいな.

注意とお詫び
先日,W県のOさん(内科医)のところにお見舞いにいったところ,現実問題こういった小説などで精神に異常をきたす可能性は否定できないそうです.例えばピンク・フロイドの「狂気」があれほどロングヒットした理由は,ドラッグをキメたときにより効果的にする訳だったのよね.そういうことを考えると,映画にしても,テレビ,音楽,演劇,小説などなど,いかなる表現においても気をつけな結構ヤバイということになります.昨今流行っている「サイコホラー物」のドラマや映画も精神的に弱ってる方は,なるべくなら観ない方が無難らしいです.とりあえず注意を促す意味と自分の無知をお詫び申し上げます.最終的には自己判断で観るかどうかを決めればいいのでそのあたりは皆様におまかせいたします.とりあえず…

さっきまでのが実は23日に書いたところなんです.今日病院行ったときに先生に聞いてみました.その回答は
「まぁ,現実と虚構がきちんと区別できてれば影響はありません.だからyas-shiさんが『ドグラ・マグラ』を読んでおかしくなったってことは無いです(キッパリ).ただ今後バーチャルリアリティの世界が広がってくるとどうなるか分りませんけどねぇ.」
ってことは裏を返すと現実と虚構を区別できない奴の場合思いっきり影響しちゃうってぇことじゃないの,この回答って.それってヤバイんじゃないのなんて感じましたわ.あと,精神系が専門の先生って夢野久作が結構好きみたいね.話のなかで「『少女地獄』読みましてね,あれ時代背景とか書かれてて面白いんですよ」などとおっしゃっておりました.


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

今の自分に正直に生きよう [コラム・小説・詩]

今の自分に正直に生きよう
決して過去を振り返らない訳じゃなくて
決して未来に希望だけを託す訳じゃなくて

過去は自分の歩んできた道だけど
決して戻ることは出来ない
ただ出来るのは懐かしむことと
今の自分の生き方のお手本に出来るだけ

未来はこれから自分が歩く道だけど
一体それがどこまで続くのか
夢を持つのは簡単だけど
夢の私になるために一体何をすればよいのだろう?

「あの頃は良かった…」なんて言ってみて
現実から目を逸らすことは簡単
だけどそれって今を一所懸命生きてる自分に対して
とても失礼なことじゃないのか

「こんな夢を持っているんだ」なんて
安易な希望を抱いてはいないか
夢は持つだけじゃ何にもならなくて
何かをしないといつまでも夢のままなんだ

だから
今の自分に正直に生きよう
今を大事に生き続けて
そんな今を高く積み上げ続けて
一度きりの人生を楽しく激しく
軽やかにカラフルに生きていきたい

今の自分に正直に生きよう!!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

北の大地で「阿波踊り」を考えた [コラム・小説・詩]

こないだ北海道に行った訳ですが,ある日夕飯をHさんいきつけの「J」に行ったとき,あるポスターを見つけたのでした.そのポスターとは「YOSAKOIソーラン祭り」のポスター.これをみたとき私はなぜか「阿波踊り」のことを考えたのでした.

「よさこい祭り」って元々は高知の祭りですよね.今でも8月にやってますわね.でも,最近全国的に有名なのは北海道の「YOSAKOIソーラン祭り」ですね.ここ4,5年のことなのにね.ここで,別に「高知が本家だから素晴らしい」なんてことを言いたい訳じゃないんです.なぜ本家高知より北海道の方が有名になっちゃったのかを考えたんですね,北海道で.実は阿波踊りにも同じような現象が起こっているんです.というのは関東の方では「徳島の阿波踊り」より「高円寺の阿波踊り」の方が有名らしい訳です(このあたり関東でリサーチしてないので良く分からないのですが,小説や雑誌等をみると結構そんな感じがしますね).

なぜ,阿波踊りにしてもよさこいにしても,本家より後発の祭りが有名になるのでしょうか.ま,単純に東京に近い(札幌は遠いですが,東京の人の立場だと感覚的に四国より近いと感じると思う)ということがあるんでしょうし,宣伝の仕方がうまいということもあるでしょう.でも,一番の原因は「間違った」伝統にあぐらをかいていたからじゃないかと思う訳です.

正直申しまして私,阿波踊りのルーツは良く分かりません.でも,魅力は分かります.人によって違うとは思いますが,私の考える阿波踊りの魅力とは「誰でも簡単に踊ることが出来る」と言うのが最も大きなものでありましょう.だから大学でも簡単に連(注:踊りのグループ)ができるし,街角やにわか連で初めての人でも踊りに参加できる訳ですね.

ところが私が徳島で感じた阿波踊りというものは有名連の踊り至上主義とでもいうものなのです.有名連の踊りって確かにすごいですよ.訓練された踊り子が,システマティックなフォーメーションで踊るのは観ててすごいですよ.それに観光客が喜ぶのも分かる.でもそれって1回観たら十分って気がしない?それに,そういう踊りって他にもあるよ.阿波踊りである必要性っていうのはないんじゃないの?

まぁ,有名連があんまり好きじゃないってのは他に理由があって,妙なプライドみたいなもんがあるからなんですけどね….学生連に対する態度ってひどいものがあるもの.確かに学生の踊りって酷いものが多いんだけど,演舞場の順番をちゃんと待って先に押さえてるのに,「あいつら学生だから後に回せ」とかよくそんなことが言えるなぁ!という気がします.自分たちがあんなに練習したんだから偉いんだ,みたいな勘違いがあるんじゃないの!なんで,最低限のこと(順番の割り込みは駄目でしょ)が守れんかなぁ….結局,阿波踊りってあのリズムに乗って手と足が前に出てればそれが阿波踊りでしょ!昔の踊りとかを映像で観るとそんなに洗練されてなくってね,これがほんとの伝統じゃないの!!

…失礼,思わず感情が吹き出てしまいました.
誰でもできるってところが,阿波踊りの魅力であるはず,こういうタイプの踊りって日本中探してもあんまりないんじゃないの.振り付けが決まってなくって,リズムの赴くままに体を動かすって,阿波踊りと沖縄の踊り(名前失念),あと郡上八幡の踊り(これまた名前失念)くらいでしょ.もっとこの部分を前面に出すべきだよな.演舞場の増設とかも必要なことは認めますけどね,もっと他にすべきことがあるでしょう,ということです.

幸いなことに,ここ2年間で状況は好転していることは感じます.街角での自然発生的な踊りの群も多く見掛けるようになったし,阿波踊り広場みたいなものもできてるしね.あとはもうちょっと誰もが踊れる「にわか連」の宣伝を大きくして欲しいなぁ.やっぱ阿波踊りって「踊らにゃそんそん」ですよ.

おまけ
私は踊るのも楽しいんですが,あのリズムを聴くと興奮します.誰かがいってたけどあれはドラムンベースとかアフリカンビートとか,そんな風に興奮できるような音楽ですよね.ちなみに最近有名連の方が「三味線が入ってないと良くない」みたいなことをおっしゃってますが,その点に関しては同感です.三味線入ってたほうが音に厚味が出ていいよね.ま,いろいろな事情で入れることが難しいことは分かりますがね.

とにかく皆さま!一度本場の阿波踊りを観て下さい,そして踊って下さい.そしたら「阿波踊り」の素晴らしさが分かりますよ!!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

第十堰問題 [コラム・小説・詩]

今,徳島で一番ホットな話題といえば“第十堰の可動堰化を問う住民投票を求める署名運動”でしょう.先日(12月2日)に徳島市の署名活動が終わりました.県外の方のために簡単に説明していくと,この計画は現在,吉野川にある“第十堰”を壊して,その下流に“可動堰”(ちょうど長良川のときみたいなの)を作ろう,ってものです.議論を明確にするために自分の立場を明確にしておくと,可動堰化には“反対”の立場です.しかしながら,今回の住民投票を見ていると推進派,反対派とも首を傾けたくなる議論がされていたように思いますので,ここで私の考えを書いておきます.

可動堰化に関する問題で交わされている論点は以下のようなところでしょう.

  1. 環境問題
    可動堰化を行なった場合,水の停滞によりヘドロが溜まり水質が悪化し,生態系が破壊される.
  2. 経済問題
    可動堰化した場合,可動堰の建設費に約1000億円,維持費に年当り7億円に費用がかかる.
  3. 治水問題
    今の第十堰は“60年に一度”の洪水にしか耐えられない.可動堰化した場合,“150年に一度”の洪水まで耐えられる.
  4. 利水問題
    もし,洪水により第十堰が破壊された場合,旧吉野川に水が流れなくなり,鳴門市,板野郡に水道水を供給できなくなる.

簡単ですがこんなところでしょう.1,2は反対派,3.4は賛成派の主張ですね.それぞれに対する私の意見を述べたいと思います.

では,1から….これに関してはまさにおっしゃるとおり,というところです.賛成派によると,可動堰化における環境への影響は「微々たるもの」らしいですが,これは信じることができません.というか,長良川のときにも同じようなことを言ってましたよね.で,河口堰完成後,水質が悪化したのは周知の事実なのですが,あれって「微々たるもの」の範囲らしいですね.また,長良川と吉野川では条件が違う,なんてことも言ってるようですが,そんなの当たり前のことで,「川の流れを止める」ってことに関しては同じなんだから,似たような状況になるんじゃないかな,と考えてしまいます.

2に関しては,これを賛成,反対の材料として考えるのはナンセンスでしょう.だって,利水,治水のために金はかかるものですから.つまり,ここで論じるべきことは,「可動堰が必要かどうか?」ということであり,金云々は後からついてくるもんじゃないでしょうか?
#治水のことを考えると,可動堰にしなくても今後同等の維持費は必要だと思います.

3に関してですが,「60年に一度」とか「150年に一度」とかいうのは意味がないと思います.というのは,「災害を未然に防ぐ」ってことは確かに重要なことなんですが,それ以上に重要のなのは「災害は起こるものである.大切なのは災害が発生したときの対策を考えておくことである」ということではないでしょうか.誰もが思いもしない災害って阪神大震災を見ても分かるように,起こるものですよ.つまり,ここに対する私の意見は「安全のために可動堰をつくるよりは,災害時の対策を立てることがもっと重要」ってな感じになります.また,同様の理由で,この点に対して反対派の皆さんが良く言う,「150年に一度の洪水に備えるといっても可動堰は150年持たない,だから可動堰は必要ない.」という意見もちょっと的外れかなと思います.
#でも,この点って反対派の人にとっては苦しいポイントですよね.もし災害が起こったとして,その時の可動堰化していたとすると「1000年に一度の災害だった」って言われりゃ終わりだし,可動堰化してなかったとすると「可動堰化してなかったから災害が起こった」って言われそうだし.辛いところですよね.

4に関しては,これはそのとおりだと思います.反対派の人もこの点は認めなければならないのではないでしょうか.ここで重要なのは,3にも通じることですが水が一時的に利用できなくなる可能性がある,ということを理解しておきその対策を立てておく,ということでしょう.

結局のところ,重要なのは「可動堰化した場合のメリット」と「可動堰化しなかった場合のメリット」を比較する,っていう点が抜けていると思うんですよ.どちらのメリットが大きいかを考えるということが,賛成派,反対派ともに論じている人が少ないと思います.

私自身は,徳島に必要なのは可動堰を作って環境が悪化した吉野川より,これまでの第十堰のままで美しい吉野川を守る,ということが大切だと考えます.これまで,どこ地方でも「東京のような都市」を目指してきました.幸か不幸か徳島をはじめ四国の4県はその流れから取り残されました.そんな徳島の誇れるもの,それは「美しい風景」と「阿波踊り」です.それを守ってほしいから,私は第十堰の可動堰化に「反対」します.

追記
これを書いたのも随分と以前のことになるなぁ.徳島に行って吉野川の土手の上の道路を走ったり,そこから見える風景を見たりしてるとこの頃を思い出すのです.住民投票のときには既に大阪に来てたんですが,反対派の人から票を入れてくれってメールが来たのももう思い出ですね.あっ,もちろん大東市民になってたんで投票権無かったんですが.


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース
- | 次の10件 コラム・小説・詩 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。