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剣山スーパー林道木沢村行軍記 [コラム・小説・詩]

1.悲劇への序章

8月9日私は6年間の学生生活を送った徳島へと旅立った.といってもここは大阪.梅田から発車する高速バスを使えば2時間半で徳島である.あっという間に見慣れた徳島駅前へと着いた.駅前は阿波踊り前ということもあり,踊りの練習の音が聞こえたり何やら華やいだ雰囲気であった.私はもやし氏(本名:YY氏,下の名前は私と同じ)との待ち合わせ場所へと歩を進めた.フィリップ・モリスの煙草を1本吸ってるうちに彼は現れた.彼の車に乗り込んだ私は何をしようかと考えた.学生時代私達二人はともに車で意味もなく通常は人の通らない国道なんかをドライブすることが多かった.その日も軽い気持ちで「どっか山にでも行きましょうか」という私の一言で,ドライブを行なうこととなった.

まずは阿波踊り用につくられた桟敷席を抜けた.
「とりあえず飯でも食いますか.」
と私は言ったのだが,もやし氏はすでに晩御飯を済ませたとのこと.仕方が無いので私は某ソンへよりやきそばとペットボトルのウーロン茶を買い,そこで軽い食事をとった.後から思うとこのときに食事をとっていたことが幸いするのであるのだが,そんなことはそのときの私に知る由も無かった.

私達は佐那河内-神山ルートへと向かった.普通なら国道439号に沿って進路を取るところであるが(これも普通では無いのだが…),その日もやし氏は妙なことを言ったのである.神山より進路を国道193号にスイッチし木沢村より剣山スーパー林道を走ろうと言ったのである.私はもちろんそれに同意したのだが今にして思えばそれが悲劇の始まりであった.

2.恐怖のオフロード

もやし氏は以前にも剣山スーパー林道を走ったらしい.そのときは今回行く林道より手前,つまり徳島寄りの方を走ったとのことである.どうやらもやし氏は今回その先を走り,完走を果たしたかったのだそうだ.

やがて国道193号の交差点が現れ私達は左折を行ない,林道のある木沢村の方向にスイッチした.このあたりは国道と言っても山間部であり,対向車が来るとすれ違うのにも困難する狭い道なのである.やがて私達は不気味なトンネルを抜け木沢村へと入っていった.そこからスーパー林道へは約1分.車は右折し剣山スーパー林道に入った.

序盤は好調であった.スーパー林道とはいえ,国道との分岐付近は舗装されている個所もあり,楽しいドライブであった.オフロードになってもまだ最初のうちは若干の振動を感じる程度であり,問題なく車を進めることが出来た.

時間は夜の11時,こんな時間にスーパー林道を走る物好きはあまりいない.昼間だったら雄大な山並みを観ることができるのであるが,夜間は対向車とすれ違うことはなく,会うのは鹿,うさぎ,狸といった動物達であった.
「次何が現れると思います?」
「鹿ちゃうん?」
「じゃ,私うさぎに賭けますわ.」
こんな馬鹿な話で盛り上がりつつドライブを続ける.ちなみにその直後現れたのはうさぎだったことを書き記しておく.

ドライブを続けていくうちにどんどん路面が粗くなっていった.落石が多く速度を上げるのは危険と感じ控えめなスピードで車を進める.あるカーブを抜けたとき私はヤバイと感じた.もやし氏もそう感じたようであった.大きな落石らしきものが道路の真中にあったのである.もやし氏はそれを木であると判断したようであった.その為そこに突っ込んでいった.

「ゴン,ガリガリガリガリ…」
そんな音がした.これはヤバイと思い,すぐさま私達は車を降り,車の状況を確認する.ボディ,タイヤ,バンパーなどに問題は無かった.なんかオイルくさいにおいがしたが,多分気のせいだと信じ,わたし達はさらにスーパー林道を進んでいくのであった.

3.S.O.S!!

車には何の問題もないようであった.別にガソリンも漏れていないようだし大丈夫だと思った.が,やがて私は車の挙動がおかしいことに気づいた.下り坂が長く続いた部分で全くエンジンブレーキが効いていないのである.
「もやしさん,今ニュートラルですか」
「いや2速に落としとるよ」
「じゃなんでエンジンブレーキが効かないんでしょう?」
「え?!」

車を谷の底に止める,いや止まってしまったというのが正しいかもしれない.
「ためしにバックに入れてみてください.」
…動かない.
「今度は4速に入れてみて…」
………やっぱり動かない….
この症状は明らかにオートマのオイルがなくなっている状況としか思えなかった.レースだと「ATF故障によりリタイア」といったところだろう.なんとか車を押し,他の車が通れるだけのスペースを作り(もっとも夜間にそんな奴はいないと思ったのだが),策を講じた.

もやしさんはJAFの会員証を見せてくれた.
「#8139(はいサンキュー)でJAF呼べるで」
でもここは「圏外」.当たり前だ,1300メートルの山の中で携帯は無力であった.なんとか500メートルほど歩いて場所を変えつつチェックをいれるのだが,やっぱり「圏外」….

「SOS信号でも発してみますか」
私は提案した.ライトをパッシングし
「ツーツーツー,トントントントントントン,ツーツーツー」
もう一度.なにも起こらない.
「今度はクラクションで!」
もやし氏が言う.
「ブーブーブー,ブブブブブブ,ブーブーブー」
文字にすると情けないが私達は必死であった.3回ほど続けた.だが何も起こらなかったのである.

夜間(もう12時)懐中電灯もなくスーパー林道を歩くのは危険,ましてやとなりの木頭村では熊なんかも生息しているのである!!
「もうここで寝ましょう.」
「そ,そやな…」
私は睡眠導入剤を飲んでいたのですぐ寝たので,それから後もやし氏のとった行動は分らない.

4.第2の悲劇

翌朝,薄暗くなってきたところで目が覚めた.もやし氏は寝れなかったそうである.オイルがもれていることを改めて確認するもやし氏.いつまでもここにいても仕方ないので山を降りることにした.

お互い何を持っているかを確認する.エネルギーになりそうなもの…,もやし氏のストロベリーガムのみ!!私は昨日買っておいたウーロン茶の空きペットボトルがあったので,谷(「にくぶち谷」というらしい)に下り水を汲んでおくことにした.そこで第2の悲劇が起こったのである!

「ちゃぽん」
うん,何か落としたぞ,うわ~あれ会社の携帯じゃー!!胸のポケットに入れとったんやったー!!…一瞬ピカッと光り,急流に流されていく携帯電話を私は呆然を眺めることしか出来ないのであった.とはいいつつ水を汲み,谷を上がりもやし氏に私は笑顔を浮かべていったのである.
「会社の携帯,落としちゃいました.」
通常,笑顔を浮かべて言う台詞ではない.頭の回路がショートして笑顔しかできなかったのである.もやし氏は気遣ってくれたがもうどうしようもない,あのP501iはもうにくぶち谷の急流の中,大自然の前に私達は無力だった….あぁ愛しのiModeP501i,今君は何をしているの,どこにいるんだい,P501i~!!

5.行軍

そこから先はひたすら歩くしかないのである.とりあえず民家のあるところまで,もしくは携帯の電波が入るまで.にくぶち谷にあった小さい看板によると国道193号まで約20キロらしい.民家まではそれ以上の距離があるに違いない.私達は午前5時,覚悟を決めて歩き始めたのである.

最初は雄大な景色を眺めながら歩くことができた.いい空気を吸ってるなぁ,何てことも考えつつ歩いたのである.
と・こ・ろ・が
ずーっと,ずーーーっと,景色が雄大なだけなのである.歩いても歩いても「あーいい景色だね~」なんて言える筈も無く,私達は無口になっていくのであった.

1時間ほど歩いた頃,昨日の悲劇の現場らしきところに辿り着いた.石は粉砕されていてATFのオイルがぶちまけられていた.よくそんな状態で5キロ近く車が走ったものである.Woo,Makes Me Wonderである.そのときに気づいていればもう少し歩く距離も少なくて済んだのに,と思ったがもう終わったことである.すぐに私達はまた歩き始めるのであった.

6時半頃,下からラジオ体操の音が聞こえてきた.実は結構目的地は近いのかなぁ.そうだったらいいなぁ.と考えたが,遥か真下から聞こえてくる,それも小さな音で.その期待はあっさり否定されたのであった.

午前7時頃,やっと下に下りていく林道の分岐についた.ここから8キロ下にやっと国道があるのである.しかも下りばかり,足に来る負荷は凄まじかった.もやし氏のガムを噛み,水を分け合い歩きつづけた.私はあのとき某ソンでやきそばを食べていて良かったと思った.はっきり言って腹は空いていなかったのである.もしかしたら虫の知らせ(意味が違うが)だったのかもしれない.そう思った.

午前9時頃,長~い下りを終えやっと県道に出た.もやし氏によるとこのあたりに四季美谷温泉があるらしい.看板には後6キロとかいてある.ようやく目的地が決まった.あと6キロでこの苦労は報われるのである.途中民家が何件かあったがもう私達は四季美谷温泉を目指していた.電話があるかとも思ったのだが,あまりカタギ(?)の方に迷惑はかけれないと思ったからである.なんとな~く平らなうねうねした道路を歩きつづけるのであった.

いつになったら着くのかなぁ.もうしんどさの限界がやっていたとき,やっとその四季美谷温泉に着いた.時計を見ると午前11時,気温も上がりよくこれで脱水症状にならなかったものだと思った.約6時間の行軍はこうして幕をおろしたのであった.

6.四季美谷温泉にて

喉も乾いていたし自販機で買ってスポーツドリンクを飲んだ.そして中に入りカレーを注文した.おばちゃんは不思議そうにこっちを見ていたので理由を説明した.多分こいつらアホや,そう思ったに違いない.でもそれは正しい.アホなことをやって起こるべくして起こった結果がこれである.カレーを注文して食う.食欲はなかったのだがこのときだけは食わずにはいられなかった.もやし氏はJAFを呼びに,私は会社に電話を入れる.もちろん怒られた.でも死にたなかったんやもん,仕方のないことである.それにもう終わったことである.

私は先にバスで帰る事にした.おばちゃんに聞くと2時にここに来ると言ってくれた.もやし氏はJAFを待っていた.
「どっちが早く来ますかねぇ.」
「バスちゃう?」
そんな話をしているうちにJAFが来た.もやし氏は今歩いて降りた道を再び車で上がって行くのだった.その5分後バスが来た.誰も乗っていない村営のバスである.クーラーの効いた車内でくつろぐ.やっとここまで来てもう一度景色を眺めてみた.今度は素直に綺麗だと思うことが出来た.

7.その後…

バスを乗り継ぐこと2回,2つ目のバス以降のことは覚えていなかったが,午後5時過ぎ私はまた徳島駅前に帰ってくることができたのである.なんか楽しいんやら,苦しいんやら… 相変わらずバカやってた学生時代からな~んも進歩してないんだなぁ,そんなことを考えつつホテルに入った.部屋に入ったとたんに眠ってしまった.

午後7時半ごろ,ようやくもやし氏から電話があった.「帰ってきました」その声にパワーは無かった.聞くに結構レッカー移動で金がかかったらしい.かわいそうだと思ったが仕方ない,これもやっぱり終わったことである.

翌朝もやし氏宅に荷物を取りに行った.お互いひどい筋肉痛だった.階段を上るのも降りるのも辛い,そんな状態だった.もうこんな行軍はやめにしようと思った.
とは思うのだが絶対またこの2人で何かやるんだろうなぁ,きっと.


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