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Communication Breakdown [コラム・小説・詩]

さて,なんで私は「コミュニケーションエイド」なんていう必要なんだけどあまり知られていないお仕事をしているのであろう.それを語るには中学時代にまで遡らなければならないのである.

中学3年のとき,ある美人の数学の先生がいたんだな.とっても綺麗な方で今にしてみれば「心がときめく」なんてことを感じたのはあのときがはじめてだったような気がしないでもない.ところが2学期,その先生が一身上の都合により退職することとなってしまった.先生は最後に私たちへのはなむけのことばの代りに映画を観せてくれた.その映画は先生がおそらくは大学のサークルでつくったのであろう自主制作映画だった.内容としては(大林宣彦+宮崎駿)÷3といった感じであった.良くある内容の映画ではあったのだがなぜか心に残る映画だった.そのときである.人に何かを伝えたい,そう思ったのは.

ただなんとなく過ごした高校時代.暗い奴で目立たずひたすら自己嫌悪に陥っていた真っ只中だった高校時代,いい思い出といえばちょっとだけ目立って,いつもよりほんのちょっとだけ明るくなることのできた2年のときの学園祭での「フィーリングカップル」の司会と修学旅行でのイベントの司会くらいかな.このときに人に何かを伝える喜びを知った.ただそのとき以外は只ひたすら悶々と,伝えることの出来ない不思議な気持ちが心の中に渦を巻いていた.

だから大学に入ったときはそれまで子ども会活動なんてものもやってたこともあり子どもに何かを伝えることのできるサークルに入って「人形劇」をやった.1年目は「影絵劇」をやったのだが,ひたすらプロデュースと光源管理,背景製作という裏方に徹した.2年目はサークルの方向性と自分の考え方の違いにイライラする中で自分で脚本を書いて「人形劇」をやった.そのときは劇につけるためにいろいろな音楽を聴いて感性をどんどん高めていけた時期だったし,自分の伝えたいことが伝わったらいいなぁという気持ちで脚本を書いていた.ある意味一番表向きにはクリエイティブな時期だったと思う.ここだけの話であるが,私は「影絵劇」「人形劇」をやっている間,一度も演出という肩書きを持ったことは無かったのであるが,音楽の選曲を自分が行なうということを悪用して「演出」の意図を思いのままのところに持っていくという悪質極まりないことをやった.良くないことだとは思ったが楽しかったのは事実であるから仕様が無い.こんな悪質なことがまかりとおってしまうような人形劇団にいても仕方ないし,サークルの方向性と自分の考え方の違いが極限まで高まってしまったので2年の途中でサークルは辞めた.

そこから1年間はまた自己嫌悪の時期である.悶々と日々を送り,だらしなく髪と髭を伸ばし,ひたすら苦しい日々を送った.今だからはっきり言おう.去年めでたく「うつ病」の診断が下ったのだが,はっきりいうとあの暗黒時代は間違いなく「うつ病」だったと思う.実際,回りの連中は何時自殺するかとハラハラしていたらしい.

こんなに悶々としていても仕方が無い,何かしようと思ったのが3年の冬,ちょうどサークル時代の後輩からバンドをやろうと誘われて,なぜだかドラムをやることになったときである.なんでやったこともないのにドラムやねん,と思いながら下宿で曲を聴きひたすらスティックの素振りを続けていたのであった.おかげさまでそれなりにドラムは叩けるようになった.このときはあまり人に何かを伝えるというのではなくて,ひたすら「楽しけりゃいいやん」という感じであった.いつか自分の曲を作ってメッセージを伝えたいなぁ,と思いもしたのだが,結局そこまでは出来なかった.

それと平行してやったのが4年の秋から入った劇団「徳島」での活動.最初は音響担当で入ったのだが….4年生だったので就職活動をしなければいけなかったハズなのだが,就職するのも嫌だなぁと思って半分ヤケで入ったのが正直なところである.話が前後するが結局そのあと2年間で3つの劇に参加し,1つのミュージカルのお手伝いをし,1つの映画のバイトをした.また,それとは待ったく別になぜかラジオに出演したりもした.楽しい2年半を過ごさせて頂いた.結局のところ居心地が良かったのでもう少し徳島でいようと思ったからそうしたのである.ちょうど大学に新しい専攻ができるというので受けたのが大学院だったのである.

一応情報工学科は卒業したが特にやるべきこともはっきりしていなかったし,趣味以外のことでやりたいことも見当たらなかった.なのに受けた大学院.その中にあった福祉工学の専攻を選んだところからが今の自分の仕事に直結している.試験のときに面接で「何をやりたいか?」と聞かれたので「障害を持った方が何かを『伝えること』のお手伝いが出来るような研究をしたい」と漠然と答えた,もちろん「コミュニケーションエイド」なんてことばがあるなんてことは知らすに,である.ただ高校時代ホーキング博士の本を読んだことがあったので,博士の使っている「ことばを伝える機械」や,日立のCMで流れていた「伝の心」のことは知っていたので,そんなことを意識して答えたのではあるが.

演劇や音楽なんかをやっていたから「伝えること」に対する興味は人一倍持っていた.今にして思えば不謹慎なことなのかもしれないのだが,耳が聞こえないことや目が見えないこと,言葉がしゃべれないこと,そのために「伝えること」ができなかったり「伝わらなかったり」することがあるんだろうなぁと思い,これは面白そうだということで興味半分で研究を始めたのである.「アルジャーノンの花束を」の映画が好きだったから知的障害にも興味があった.小学校のころヘレン・ケラーの自伝は読んだし,演劇をやり始める前から「奇跡の人」の脚本くらいは読んだことあったので三重苦というニュアンスは意味も無く好きだった.精神的苦痛により三重苦になった少年がピンボールを通じてカリスマになって堕落しその中から「何か」をつかむThe Whoのロックオペラ「Tommy」は今でも大好きだ.

だから「伝えること」「伝わらないこと」,そのことは今でも自分の中での大きなテーマになっているのである.自分の文章も「伝えたいこと」があるから書いてるのだけれど「伝わらない」ことが多い.でも,文章が書けなくても「音楽」や「絵」「ダンス」…いろんな方法を使ってメッセージを「伝えること」はできる.

結局のところ私にとって「コミュニケーションエイド」とは「演劇」や「音楽」「小説」「絵」「ダンス」そんな人に何かを「伝えること」と同じ意味を持っているのである.今回のタイトルは例によってLed Zeppelinの曲から拝借した.決して「伝えたくても伝わらない」愛を書いたへヴィーロックの佳曲である.「伝えること」ができるのに「伝わらない」不思議さもあれば,障害などで何も無ければ「伝えることの出来ない」人でも「コミュニケーションエイド」を使って「伝えること」ができて人に感動を与えることも出来る.そんな不思議な魅力に取りつかれてしまっているのである.だからこの仕事をやっているんだなぁ,最近そう思う.


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