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「ガラスの仮面」と“Deep Purple” [音楽]

仕事に復帰するとなかなか更新できんようになりますね.復帰して3週間め,久々に更新です.都合仕事を2ヶ月間休んでたわけですが,その間最初の1ヶ月はひたすら精神的に辛~い日々が続いて,楽しかったのは私と同世代の連中のいる徳島の劇団「天然ピアス劇場」の皆さんの舞台を手伝ったことくらいかな,あっ,例の「行軍事件」があったか:).会社に戻ってから顛末書を書いたんだけど,どうかいてもあのコラムみたいになって困りましたわ,ホント.

盆明けに大阪に戻ってからの1ヶ月は2つのものにハマってました.1つが今回のこのコラムに書く美内すずえ作のスポ根文化系少女マンガ「ガラスの仮面」の文庫版(計23巻)を買いあさり,48時間寝ずに完読したこと,もうひとつがダイヤルアップルータ衝動買いによるパソコン三昧でした.とりあえず今回は「ガラスの仮面」の感想を書かせていただきます.

もう有名なマンガだし,細かいところは省略!この前NHK-BSでやってたDeep purpleの「ロイヤルフィルジョイントコンサート30周年記念ライブ」を観たときに「ガラスの仮面」の主人公の2人に関して思いついたネタ,というか捕らえ方みたいなもんを感じたのでコラムしてみたいと思います.

もともと作者の美内さんは「ガラスの仮面」をお琴など邦楽のマンガにしたかった,そのようなことをインタビューで読みました.確か鴻上尚史との対談の中だったように記憶しています.でも,お琴とかだと動きが無いし,実際に美内さんが演劇を観たときの感動から「ガラスの仮面」があのような演劇マンガとなったとのことでした.もし「ガラスの仮面」が演劇のマンガじゃなくって音楽のマンガになってたら,北島マヤは,そして姫川亜弓はどういった演奏家で描かれていたか,それをちょっとだけ考察し私がなぜ北島マヤ派なのかを考えてみるのが今回のコラムの主題であります.

まずは「北島マヤ」について.彼女は月影千草に見出されるまでは何のとりえもない,母親からも「何のとりえも無い子だよ」といわれてしまうような女の子だったと.演劇をはじめてからは本人ですら気づかない天性の素質が開花するわけです.簡単に申しますと天才型(憑依型)の女優であります.

もう一人の主人公の「姫川亜弓」の場合.彼女は有名な映画監督の父親と女優の母親をもつ芸能界のサラブレッド.でも,実際は小さいころからそのように見られることを嫌い,悩み,ひたすら努力をして地位を築き上げてきた,そんな女優です.天才型のように見えながら,実は努力型の女優なんですな.

なにせ長いマンガであり劇中劇もたくさん,しかもまだ未完ということなんで,簡潔にまとめるためこのコラムではこの2人が同じ役を演じた2つの劇中劇「たけくらべ」と「奇跡の人」を素材にしてみましょう.

演劇コンクール東京地区予選の「たけくらべ」の場合.「劇団つきかげ」(北島マヤの所属劇団)は「劇団オンディーヌ」(姫川亜弓の所属劇団)の小野寺理事長の様々な妨害工作のために同じ演目をその直後に演じなければならないという,大変厳しい状況下での芝居となりました.このような場合,当然ながら前にやった劇団の方が圧倒的に有利になります.

主人公である「美登利」をどのように演じるか,それが北島マヤに与えられた課題,その出来によって「劇団つきかげ」の芝居の出来がかかってくるということになるわけです.練習中の「雪中物置1週間監禁練習」(?)によって出された回答は「姫川亜弓の演じる『完璧な美登利』に対してそれを上回る,『新しい美登利』を作り上げる」ということでした.実際コンクールでは「完璧な美登利」を演じた姫川亜弓に対し,「新しい美登利」を演じた北島マヤは高い評価を受け,同点1位という結果となりました(文庫版2,3巻を参照).

次,オーディションによりダブルキャストとなった「奇跡の人」のヘレン・ケラー場合(このときのサリバン先生役は亜弓の母親の姫川歌子)も同様.「完璧なヘレン」を演じた姫川亜弓に対して,「従来に無かった新鮮なヘレン」を演じた北島マヤ.「奇跡の人」では姫川歌子と「炎のエチュード」(このエピソードの第7章のタイトル)を劇中で披露し,毎回違った舞台を観せた北島マヤが日本アカデミー舞台助演女優賞を獲得しスターダムにのし上がっていきます(その後スキャンダルで失脚してしまうわけですが…).一方のこのとき姫川亜弓は自分と北島マヤの違いに気づき,また彼女も月影千草から幻の名作「紅天女」を本格的に目指すこととなる訳です(文庫版6~8巻を参照).

さて,私がDeep Purpleという畑違い(強引に結びつけよう,「紫のバラ」は「ガラスの仮面」の物語の重要なファクターだ!)なところからこのコラムを書くに至ったのかというと,このDeep Purpleライブ,基本的な部分はロックとクラシックの融合ってコンセプトで作られた作品の再演なのですが,現在のメンバーの見せ場ってのがあってドラマーであるイアン・ペイスの見せ場はドラム・ソロであったり,第1期Purpleの名作「Wring That Neck」(ジャズ風のアドリブが長時間に渡り展開する曲,第2期の初めの頃まで演奏され当時のライブではギターのリッチー・ブラックモアギターとキーボードのジョン・ロードが激しく火花を散らし,そこにリズム隊が加わり壮絶なバトルが繰り広げられていた.ちなみに私の持ってるライブ版“Scandinavian Night”では実に30分を超える曲となっている)を演奏したりとジャズ的なことをやってるわけですな.

ところでクラシックとジャズやロックの違いというと,クラシックは「譜面どおりの演奏」を指揮者の解釈,感覚で演奏されるのに対し,ジャズやロックは「基本のフレーズ」が決まっていてあとは演奏者の即興のアドリブが展開されるという違いがあります.どっちが良い悪いではなく「譜面どおりの演奏」と「即興の応酬」という違いがある訳です.

ここからがポイント.北島マヤの演じ方というのは従来の枠にとらわれずアドリブを積極的に取り入れているのに対して,姫川亜弓は「脚本のとおり」「演出家のとおり」演じているケースが多いということなんです.もちろんお互い高いレベルでそれを行なっているし,姫川亜弓だってアドリブはできるんだけど,どっちかというとこんなイメージで捕らえられてしまうんですよ,私は.ちなみに私,クラシックもジャズもロックも好きなのですが,やっぱり大好きなDeep PerpleとかCreamみたく,ミュージシャンの果し合いのようなアドリブが繰り広げられる音楽がお気に入りなんです.

以上のことより,私は北島マヤ派となる,というお話でした.

追記
ところで早く連載の再開と新刊の刊行をしてくださいよ,美内さん.あっちの世界から早く帰ってきてください.お願いします.結末が早く知りたいんだ,私は.


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