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だれでも障害者になるとはこれ如何に [e-AT・AAC(コラム)]

前回,前々回の「パソコンのコラム」ですが超局地的に議論を呼びました.そのことは今回書くコラム「誰にでも障害者になる」との内容ともダブってくる内容であったので本人(わたしのサイトのことを「箱庭療法」と言ってくれる優しい野郎です(笑))の了承を得てコラムに書き加えることにしました.ありがとうね.でも,掲載の条件が「おもしろおかしく書くこと」って,あんた,真剣にやりとりしたメールの内容を笑いに持っていく手間も考えて欲しいものですな.というわけで早速…

結局のところ「ユニバーサルデザイン(以下UD)」の本質はどこにあるのか,ということからメールのやりとりがはじまった訳ですな.彼曰く1通目のメールでは「UD=流行りもの」という切り口で切り込んできて,長い時間的空間をもって行なうべきものではないかと書いておりました.この「長い時間」っていうのがこの後のネタの振り方の伏線になっているから,ハイ,ここちゅーもーく(金八風で言ってください)!!これに対する返信は会社に対する愚痴がほとんどであったためここではちょいとシャレにならんので書けません(笑).ま,返信に書いてることの一部は後にちょっとだけ出てくるのでご安心を.

2通目にはエコロジーの観点も考慮に入れてリサイクルの話も絡めつつ「モノを長く使うこと」について語られておりました.そんな中でのUDとは,ということで彼は次の3つの例を投げかけて来てくれました.「UD=マルチパーパス」それとも「UD=インテグレート」それとも「UD=コンビニエント」?そこをちゃんとして欲しいよね,といったことでメールは終わっておりました.私の書いた返信の一部をここに書いておきますね.
以下私のメールを斜体彼のメールを太字で表記します.

一般的には「ユニバーサル=インテグレート」なんでしょうけども,少なくとも(ピー:ネタ的に書けない)はまずそれではない.ちなみに「インテグレート」されたUDだときっとコラムに書いたのこり3割(「何故「アクセシビリティ」に拘るのか」を参照)が沈み込むのは目に見えているから,俺自身の考え方もこれではない.

「ユニバーサル=マルチパーパス」ってのが俺の考えに近いかもしれない(PC上でのUDの場合ね).パソコンを使用するという共通の目的のための複数の手段を提供するってことだから.あ,これじゃ手段と目的が逆転してるなぁ… まぁいいか.

「ユニバーサル=コンビニエント」.説明するぶんにはいいかもね.便利ちゃ便利なもんだけどある人にとっちゃ使いにくいもんだってある訳でして.これを考えると友人の○○君が学生時代にやってたのは「ユニバーサルデザイン」の研究といいながら,ある方向に特化したものを造ってたことになるから厳密にはUDじゃないのかもね,なんて思ってみたりして.

そもそもあのコラムで書きたかったことの一つは「ユニバーサルデザイン」なんて幻想なんじゃないのということを暗に示したかったってのもある.自己矛盾してるように聞こえるかもしれんけど,結局は日本における「ユニバーサルデザイン」なんて企業が聞こえの良い言葉として広げたようなイメージがあったもんでね.(註:メールとは言えキワドいこと書いてんなぁ…)

俺自身がやりたいのはひょっとしたらいわゆる「ユニバーサルデザイン」の対極にあるもんなのかな,なんて考えてしまうわ,このメールのやり取りしてたら.
注:ホントはもと強烈なやり取りもあったんだけど「自主規制」させて頂きます(笑).

その返事の3通目に彼はある方向性を提示してきます.彼の考えるUDのコンセプトってのが大変面白いので一部(ってもかなり長いけど)抜粋させていただきます(さっき電話で了解取ったからいいね,読みやすいように改行増やしてそのまま書くよ).

引き合いでエコロジーのネタを出したけど。環境問題て特定の地域問題じゃないよね?国境を超えて汚染物質は飛んでくるし。環境ホルモンで子供は汚れて生まれてくるし。なんだかんだいって遺伝子操作されたものがどんどん出てくる。

今までの人間が決めてきたカテゴリー分け。例えば国境、民族、性別、貴賎、貧富.......。環境問題はそんなものでは解決できないということを僕たちはなんとなく感じてきているよね?

解決の糸口として「我々は人間である。」ただそれだけが共通認識であることから解決策を模索している。この構造はUDのコンセプトと似ている。むしろ問題の取り組みにおけるモチベーションが同じといったほうが判りやすいかな?

高齢化社会の漠然とした不安を内包した社会で今までの概念、例えば男と女、大人と子供、貧乏人と金持ち、自国民と外国人、etcだれだって老いて死ぬというあたり前に感じるようになって初めて二項対立じゃ答えが出せなくなってきただけのことじゃないのかな?そうするとUDユニバーサルの意味が見えてくるのかな。ユニバーサル=グローブという解釈でつめていくとキーワードは共通認識。今の日本じゃ最低の共通認識が無いからUDは、無理かな。

F1層をターゲットにするための方法論つまり購買意欲を湧かせるためにUDという言葉で中身のない商品が氾濫しているからね。きのうのメールの補足としてなんとなく書いてみました。

引用者註:F1層
マーケティング用語でFemale-1層の略で一番購買意欲がしっかりしている2~30歳代女性のことを指す.

…すばらしい!ちゃんと論理の筋道ができている.誰かの文章とは大違いだ.これだけきっちと文章書けるんなら「秘密基地の掲示板」に書いてくれよ.開店以来なんか寂しいんだからぁ.あっ,社長が書き込むという大事件があったか.なんだかんだ言っても,今日も暇つぶしに某急ハンズに行ってたんだけど,そことかLフトとかって「ユニバーサルデザインのなんちゃらです」なぁんてモノを売ったりしているのを観るにつけ思っていたことだったんだ.私は.最近は「おもちゃ」のことでそう思うことが多くなりましたけど….

で,相変わらず前振りが長いんだけどここからが本題.じゃ「誰にでも障害者になる」ってのは一体何なの.その例をここまで書いてきたこととメール内容から抜粋して書きますね.

まず,簡単なところから.皆さん,腕骨折してギブス巻いたことあります?私はございません.「掲示板」に忘れた頃に突然現われ一時期同窓会と化したときによく登場していた朱理くんなんかは,高校時代しょっちゅう骨折してたからもちろん経験あるよね(これネタ振りぞ!おまえの取るべき行動は分かっているよな).実はアレが良く見かける「一時的に障害者になった状態」の一例.よく言われるのが普段何気なくやっているけどトイレで紙を切るとき大変らしいね,あの状況だと.でも,同じようなことは片腕切断者や片マヒの人は経験してる訳さ.あっ,でもうちの会社のある人,ギブスしたまんま車運転して営業行ってたような気がするんやけど…,多分気のせいでしょうね.そういえば,目の手術で一時的に失明するってのもありますよね.つまるところ一時的な病気や怪我によって「障害者」になるってのは誰にでもあることなんですわ.

じゃ,次は新婚旅行によくある光景で….実は私恥ずかしながら海外は「北海道」しか行ったことございません.パスポートも持ってないんですぅ.今のセクションってたま~に海出張行かなあかん必要があるかもしれんのに大丈夫でしょうか?わ・た・し.新婚旅行で初て海外に出かける人ってのも最近じゃ減ったけどまだまだ多いんじゃないんでしょうかねぇ.で,「ハワイ県」とか「グアム町」あたりですと日本語も結構通じるから良いんでしょうけど,初めての海外旅行で「北欧」とか「東欧」とかこれでもかなりハードル高いのに,慣れるまでやめときゃいいのに「アフリカ」やら「南米」に行っちゃう人いるんですよねぇ.別に行くなと言ってる訳じゃないのよ.ここで言いたいことは「言語障害」のこと.「言語障害」や「コミュニケーション障害」の項にあるように海外に出て英語がしゃべれないために苦労するってのは一種の「コミュニケーション障害」ですよね.そういえば,私のセクションにいると「はいPのくろしまんです」って電話に出ると相手が突然「Hi.ペラペラペラ~」とけしかけてこられて「Solly,Please Speak Slowly」とかなり文法も怪しい言葉で切返して,何とか繋ぐべき相手(っても一人しかいないんですが(笑))を聞き出して「Just A Moment,Please」なんて誤魔化すのが精一杯の私も,ある種の「コミュニケーション障害」を抱えているとも言えなくはありません.突然の英語の電話は心臓止まりそうになります.
(くそ~,英語の歌は全然平気で歌えるし,外国の論文とか読む必要があれば泣きながらでもなんとか訳して読んでしまうんだけどなぁ,英会話ちゅうのはあれは反射神経でしょうな)

最後に誰にでも起こりうる問題について.メールのやり取りの中であった「高齢化」って誰にも起こるべきことじゃん.いくらTHE WHOが「ジジィになる前に死んでしまいたい」なんて名曲を作ってもキース・ムーンみたいに夭逝してしまわない限りだれにでも起こることであります.事実WHOのメンバーだって,あの詩を書いたピート・タウンゼントだって若い時期の無理が祟っての「難聴」という「障害」を抱えてしまったジジィになってしまったし,ジョン・エントウィッスルは見事なロマンスグレーになってしまった(註:つうか死んじゃったし…).なのになんであんただけは若い頃と変わらないのロジャー・ダルトリー君.ま,冗談はさておき,老化ってのは「長い時間」をかけて,目が見えにくくなったり,耳が遠くなったり,体が思うように動かなくなったりと,多くの障害を抱えてしまうことに他ならないものだと思う.だからパソコンメーカーなんかは「如何にして老人をパソコンの市場に引き込むか」ということを考えていろいろなことをトライしているんですね(日本IBMの「iTry」が良い例).「高齢化」っていうのは誰にでも起こるべきこと,そのことに気づいたら少しでもUDが日本に根付くのではないかと感じるのでありました.ね,最初にいった「長い時間的空間をもって行なう」商品開発ってところに落ち着いたでしょう!

最後に… 前回のコラム(「何故「アクセシビリティ」に拘るのか」を参照)で障害者のことをあんな書き方をしたのかということで批判に近いメールを頂戴しました.確かに意図的にやりました.その回答を最後のメールのやり取りでしましたのでその文章を書いてこのコラムを終わらせていただきます.

本当の意味での「バリアフリー」とか「ユニバーサルデザイン」のことを理解している奴はいるのかと.俺にしてみりゃ君の書いたとおり否定的な意見を持っている.無理に「ユニバーサルデザイン」を否定しようとまでは思わないけど.定義が曖昧=だれも同じ方向を向いていない=結局言葉のお遊びにすぎない,これは企業だけじゃなく世間一般に言える事だろう.違うかい?

UDに関しては生産者側(企業),消費者側(障害者)の認識が変わらないと絶対ダメ.その答えが企業のことをバカにしたUDのコラムと一昨日書いたコラムの内容.だからあえて障害者のことを醜く最初に描いてみた.障害者だってアメリカと北欧でも考え方が違うし,意外なほどに知られていないけどアフリカの考え方なんかは結構面白い.日本は臭い物にふたをしろな国だからねぇ.(注:ここでも刺激的な言葉を使ってるけど本意はちょっと前までの障害者政策を書いたことです,念のため…)

UDなんて根付くかどうか疑問なのは事実.ま,そんなところで,では.


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