努力する才能 [日記]
基本的に持ち合わせていません、努力する才能。
うちの劇団の稽古のときに、kane-gさんから
「役者に必要なのは『演技する才能』じゃなくて『努力する才能』」
なんて言われてしまいまして。少し考えました。
私自身は気付いていないのですが、好きなものや興味のあるものに対する執着心が強いのが関係しているのか、本人は努力しているつもりは全く無くても、周りからは努力しているように見えることはよくあるらしい。これまでの芝居とか音楽の経験からすると。
個人的な意見としては芝居というか演技に関しては、
才能≧努力
だと思っています。この記号が意味するとおり、同じところまでは行けると思うんですよ。ただ、才能のある人が努力をすると、もうね、見えない壁ができる感じね。見えないって書いたけど、見たことあるような気がしないでもない…
芝居は好きなので時間さえあればいくらでも練習しますよ。コレが人から見ると努力に見えるのかもしれないけど、楽しんでやっているから苦痛では無いし、極端な言い方をすると遊びの延長みたいなものですからね。「遊び」を語らせると、それはそれで長くなるので今日はやめときましょう:)。
ということで、今から2月公演の台本を読みましょうかねぇ…。と、今日はこんなところで!
#ミハエル・シューマッハもランス・アームストロングもあまり好きなレーサーでは無いけど、「レーサーとしての才能」と「努力する才能」の両方を持った本物のレーサーだと思います。「努力を忘れない天才」に勝るものは無いよね、ホント。
将棋の羽仁善治さんはこんなこと仰ってました。
「努力し続けることこそが才能です」って。
もしかしたらその努力は、「素晴らしい誰か」に近づくための努力ではなくて、「昨日の自分」が目指した「明日の自分」に近づくための努力なのかも・・・と私は思いました。
どんなに頑張っても、憧れの人の人生に乗っかることはできませんから、なりたい自分を目指し続けるのが自分を生きるってことなのかなぁって感じています。そんな姿が誰かに憧れられるのかもしれませんし^^
上手く表現できなくて恐縮ですが、私なりの考えを書かせていただきました^^;
by 眠り姫 (2010-11-23 01:10)
羽生さん、そんなことおしゃってたんですねぇ。納得。
ちなみに私の場合、アンケートの尊敬する人とか憧れる人の欄に
「理想に近づいたときの自分」
なんてことを書いてしまうんですよねぇ…
#「壊れかけのナルシスト」らしい
by yas-shi (2010-11-23 11:39)